被災後3ケ月経っても浸水地域の学校は再開せず、家には住めず、避難生活の中での「気力の維持」が大変と川辺地区から報告。10月26日、中くらいに長いです(2000文字)。
住民グループの人たちが、真備地域で被災者の居場所づくり、情報交換の場をつくっているというのでその中の川辺小学校の地域交流施設「あるく」を訪問しました。地元の建設業者さんから借りたプレハブでつくった施設だが、「小学校には人が入るプレハブは置いてはダメ」と言われ電気も引けず、お湯も沸かせないが、熱意でこの場を立ち上げたリーダーの槙原聡美さん(もともと保育士さん)から、現在の川辺地区の生活状況や交流施設をつくった動機等について聞き取りをさせていただく。
川辺では年に2回防災講習をしていた。「あんなにがんばったのに」という思いがあるという。約1700世帯ある川辺地区で99%以上が水につかってしまった。水につからなかったのはわずか3軒。川辺では集会所も水につかり、人が集まる場所がなくなってしまった。お互いに連絡も取れない。携帯電話の番号も教え合っていなかった。そこでこの「あるく」を開いたという。
槙原聡美さん自身、川辺地区に自宅がある。7月6日夜の状況を伺う。小学校5年生の子ども(女子)が夜10時ごろ自分のリュックにお菓子とジュースを詰めこみ「逃げよう」と言った。中学1年の兄は携帯電話で友達とやりとりしていた。ご主人はなかなか動こうとしなかった。他のご家庭でも男の人が動こうとしない、ということを聞いた。自主防災組織の人たちが各戸のインターホンを押して「避難指示が出ましたよ」と連絡。
自分たちは車で真備総合公園に避難したが、車がいっぱいで入れないと思って自宅に引き返す。水についていない岡田小学校に避難したが、ふだん行かない地域の小学校なのでトイレの場所が分からず、クリーンセンターのグラウンドに移動した。最終的には総社市の実家に避難。自宅にあとで戻って見てみると、2階までの床上浸水。ショックだった。フローリングの泥が歯ブラシでこすっても取れない。
被災後、食事支援のために「炊き出しボランティア」を9月はじめから10月まで実施した。10月にはスーパーの「ニシナ・フードバスケット」が再開したのでそれを区切りとした。炊き出しボランティアが始まるまでは他の地域に行ってお弁当をもらっていた。
9月上旬ごろLINEを使って川辺地区の災害情報を伝えあうLINEグループを始めた。お互いに情報交換。例えば迷いネコまでこのLINEで探したりネコの里親を探したりしている。現在530人が加盟。500人を超えたので2つめのLINEグループを作った。このLINEグループでアンケートを3回実施し、現在の暮らしと今後の意向などを尋ねた。
1回目の9月11日の調査では、居住希望について尋ねた。240件の回答の中90%の方が川辺地区に戻りたいと言う。住宅は、65%の方が「リフォーム」、13%の方が「解体・新築」を希望する。しかし、市議の原田さんの情報ではリフォームだけでも1000万円から2000万円も要求されるという。解体・新築だと2000万円から3000万円。被災者支援金は「全壊」で300万円。個人でどう負担するのか。新しい住宅をローンで購入したての若い人もいる。何よりも住宅復興の経済的負担が大きい。
2回目の9月22日のアンケートでは食事状況を尋ねた。266件のうち「自炊できている」人は70%以上あったが、「自炊できない」方も30%あり、理由を尋ねると、最大理由が「気力がない」だった。例えば子育て中のお母さんにすれば、川辺小学校が再開しないため小学生のお子さんがバスで1時間かけて遠くの学校に通っており、バス停まで徒歩30分もかかり送り迎えで振り回されている。買い物に行く時間もとれない。料理道具も洪水につかってしまったため使えない。たとえばピーラー1つが洪水でつかって使えないだけで不都合。気力がない方をどう支援していくかが課題という。
3回目の10月9日のアンケートでは、9月30日の台風24号の接近に対して「避難勧告命令を受けてどうしたか?」と214人に尋ねた。そのうち真備町に住んでいる人のうち65%の人が「自宅にとどまった」という。7月6日から7日の浸水を経験しても「避難所に行く」という行動をなかなかとれない、ということがわかった、と槙原聡美さんはいう。「避難所」の生活条件などが改善されないとなかなか避難所に足がむかないのでは、と話がでました。
槙原聡美さんによると、市の職員さんに、弁当をよその集落まで買いにいくのはどう思うかという話をしたら「お弁当を買える人は自立している人です」というトンチンカンな回答という。これに限らず真備町が倉敷市に合併して市の行政職員の対応は悪くなったのではないかと心配していると槙原聡美さん。地元選出の原田市議も、今の最大の課題はまずは地元の川辺小学校を早く再開してほしいという。国の規定か何かで再開できない、と倉敷市は言うらしいが、掃除と電気の回復で学校の復興はできるはず、という。
また小学校の体育館を2階建てにしてほしいと要望している。川辺では川辺小学校が洪水の際の避難場所に指定されていなかった。もともと5メートルも水につくので避難所になっていない。しかし小学校の2階、3階には避難できたのだから川辺小学校が避難場所になっていたら、地域の人たちもちりじりにならず、川辺にとどまれた。指定避難所の制度も、現実的に見直してほしい、という。川辺地区には物資も職員も来ないというのはおかしいという。
今回倉敷市の行政は大変な混乱に陥ったとは思うが、そもそも槙原聡美さんたちが行っている被災者の意向調査などは行政が行い、今後の町の復興を真剣に計画しないといけないのではないでしょうか。倉敷市としてすすめていて、私たちが触れられなかったのかもしれませんが、真備町の槙原さんのような地元住民や宇野さんや原田さんたち市議会議員さんの熱いタイムリーな活動に比べて、市行政の姿が見えなかったのは残念です。
次回は、農業の対応について、レポートいたします。
なお、この調査は柚木みちよし衆議院議員とその事務所の協力で実現できました。記して感謝申し上げます。