「第63回全国青年弁論大会」で、中高生と若い人達、39人の弁論に聞き惚れました。「テーマ選び」に強い時代性と社会性を感じました。審査員としては「論旨」「表現」を評価。特に女性参加者の総合力に感動、この女性たちの力を次世代に活かせないのはもったいないです。ミニ報告とさせてください。11月18日。(1600文字です)。
「全国青年弁論大会」は戦後の復興期を経て昭和31年に日本の未来を考える若者育てのために始まったという。かつては50大会ほどあったと言いますが、今は数大会に減少。中学校・高校・大学の弁論部が中心となり、一般人も参加。予選や事前審査を経た39名が全国から参加をして、京都の立命館大学で開催されました。衆議院議員の泉健太さんからのお誘いで審査員に。
一人7分の持ち時間内に朗々と自分の主張を述べる若い人たち。テーマは大きく分けると4分野がありました。まずは個人としての人生を考えるもので、聴覚障がいや不育障がい等の個人的問題を前向きに受け止め、社会的な理解を求める発表は心をうつものでした。また日本で生まれ育ちながら「一票を行使できない」理不尽さを訴える沖縄のフィリピン系の女子高校生の訴えは参政権問題として国政が真剣に考えるべき課題です。
二点目は家族について考えるもの。母子家庭や父子家庭での苦労とともに、1歳半の弟を仕事に出る母親にかわり育児にはげむ男子高校生もおられました。また子どもの貧困にかかわり、「子ども食堂」などの活動自体は一定評価できるが、子どもの人権を包括的に認めない今の社会で、はたして小手先の子ども政策で満足していいのか、という重要な問題提起も女子高校生からありました。
三点目は地域問題に言及する意見、特に過疎化で故郷が無くなることへの危機感を多くの方が表明していました。根本には自分が生まれ育った地域の良さがわからず都会にあこがれ、吸い込まれる若者、自分もその一人だったが、都会に出て、改めて故郷の自然や人とのつながりなどに感動し、自分は地域で生き続けたいという力強い発表もありました。いずれも女性でした。
四点目は平和と戦争、憲法問題など。自分の祖父母からきいた戦争体験から、平和を守る意思をいっそう強めた。また広島への修学旅行で、原爆の悲惨さをあらためて知った等。戦後の日本の平和を守ってきた憲法に誇りをもって、今、ここで九条を変える必要はないのでは、という意見もありました。
さて、なぜ弁論大会が減ってきたのか。また学校での弁論部の活動がなぜ縮小しているのか?全国的な傾向としては、60年代から70年代の学園紛争の時代に大学間の対立などで、大会運営もできず、弁論部も廃部になったところが多いということです。この間の事情はもっと詳しく調べる必要があるでしょうが、今、日本の教育も、「知識詰め込み型」から「思考力」「判断力」を育み、「主体性」を育てるという方向が必要となっています。
そもそも「弁論・ディベート」は、古代ギリシア・ローマ以来、民主主義の根本となる重要な教育手段と思います。明治時代の日本の憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、言論の自由や集会の自由の保障などの要求は弁論による社会的発信が契機であったはずです。とりわけ政治分野では、一代勢力を築いた早稲田大学雄弁会に見られるように政治家を多く輩出してきました。今「弁論」とは無縁そうな二世議員が多いのとは対照的です。
弁論大会という手法自体が時代性に合わないというところがあるのかもしれません。SNSなど、若い人たちの意思表示の場はたくさんあると思いますが、こうして自分の主張に統計的データや社会的仕組みの背景を探り、深く考え、自分の意見としてまとめる、という表現活動は、まさにこれからの日本の教育に求められているはずです。
今回の39名のうち29名が女性でした。「弁論」で女性がこんなに活躍しているとは予想していませんでした。しかもテーマ性から論の立て方から表現まで、はるかに高得点を得ていたのが女性群でした。この若い女性たちの能力を確実に受け入れて彼女らの活躍を保障できる行政や企業などが主体となる日本社会でなければ、日本はますます国としての力を失うのではないか、と老婆心を抱いた大会でもありました(微笑)。