「日野原重明先生を偲び“未来へ新たな一歩”のシンポジウム」

ようやく今年の大仕事、肩の荷がおりました。12月23日に「日野原重明先生を偲び“未来へ新たな一歩”のシンポジウム」が終わりました。9月30日に計画をしていたのですが、台風で流れ、場所をかえての仕切り直し。近江八幡市「滋賀県立男女共同参画センター」での会合が終わりました。暮れの押し迫った中でありましたが、300名近くの方がたが各地から参加下さいました。改めて長い期間をかけて丁寧にご準備・ご支援いただいた顧問の先生方や世話役の皆さんに心からお礼申し上げます。12月25日、また長いです。

昨年105歳の人生を閉じられた日野原重明さんが提唱してきた「新しい老人文化」を広めるための会の世話人代表を、この4月に前任の山﨑テルミさまから預かり、4月以降、新体制で準備をしてきました。大きな会の運営にはシロウトばかりの手づくりの会でしたが、新会員の方も増えて、やりがいがありました。

開会挨拶で、嘉田は当日の流れを紹介しながら、12月23日が今上天皇の85歳の誕生日となり、来年のご退任前の天皇としたら最後の誕生日であり、105歳までご健在で活躍なされた日野原重明先生のことを思いますとまだまだお元気で、国民を見守ってくださいとお願いいたします。

来賓のご挨拶では、まず三日月大造知事がメッセージを寄せて下さり、「滋賀県の政策の柱である“健康しが”のけん引役として、アクティブ・シニアの皆さんのご活躍を期待します」と激励をいただきました。また小西理近江八幡市長からは「地域ぐるみの福祉のまちづくりの中で高齢者の安心生活を市としても強く支援する」という心あたたまる、熱い思いを込めたご挨拶を直接に壇上からいただきました。小西市長さまは、日岡昇教育長ともども、会の最後まで講演などに耳をかたむけて下さいました。

第一部の講演会では、東京からお越しいただいた「新老人の会」会長の道場信孝さまから、日野原重明さんの医師としての人生でのご活躍状況を詳しく振り返りながら、日野原イズムがこれからの時代にいかに有効であるかを専門医としての立場から紹介下さいました。

事務局長の石清水由紀子さまからは、日野原先生の過去334回にものぼる各地訪問や227回もの子どもたちにむけた「命の授業」など、先生がいかに精力的に「新老人の文化」の全国への普及拡大にご尽力下さったかを具体的に紹介下さり、東京の全国組織は来年をもって解散するものの、全国各地での組織づくりへの応援をいただきました。

第二部 シンポジウムの全体のテーマは「なぜ、滋賀が長寿日本一になったのか?(その1)」ということで、最新の厚生労働省のデータで長野県をぬいて、滋賀県男子の平均寿命が日本一になった事から今回のシンポジウムを企画したねらいを嘉田から紹介をいたしました。

最初の講演は滋賀医科大学名誉教授の馬場忠雄さんで「健康は腸内細菌叢との共生から」という講演をいただきました。人間の腸内細菌叢は生後間もなくから2歳くらいまでに母親・食生活・生活環境で形成されるが、年齢とともに変化もするという。そして腸内細菌叢の何よりの役割は、免疫細胞の6割を占め、発酵食品や食物繊維などによる腸内細菌叢の是正が、健康維持や健康寿命の延伸に寄与し、特に滋賀県ではフナズシの役割が大きいことを指摘下さいました。

次いで滋賀大学名誉教授の堀越昌子さんからは、食科学者として、フナズシや大豆系発酵食品である味噌・納豆や野菜の漬物類の摂取の多いことが腸の健康維持に貢献してくれていることが報告されました。特に滋賀県内でのフナズシ利用の地域別、年齢別違いなどの調査結果に基づき、若い世代の利用を増やす事が今後の課題であると報告下さいました。「滋賀の食事文化研究会」を長い間主宰してこられた堀越さんらしい、わかりやすい講演でした。

振り返ってみると、滋賀県では、昔から、「お腹をこわしたらかフナズシを食べろ」という、いわばおばぁちゃんからの生活の知恵が伝承されてきました。今日の馬場さんと堀越さんの講演をつなぐと、昔からの「おばぁちゃんの知恵袋」の民間伝承が近年の目覚ましい医学・疫学の研究で解明されたことは何とも愉快なことと思います。

道場信孝さまからは、コメントとして近代化の中で人間の身体中から減ってきた寄生虫を、逆に健康維持に活用している意外な研究例を示し、医師としての幅の広さをご披露下さいました。

 

また嘉田からは特別報告として、「滋賀県長寿社会に見る男女差と今後の展望」として、滋賀県女性の健康寿命は厚労省調査で客観データでは3位であるのに主観的健康寿命が42位と極めて低く、この差をどう解釈するか?と問題提起をいたしました。

推測ですが、滋賀県女性は実態以上に奥ゆかしく、自己評価が低いのではないか、と報告をさせてもらいました。また昭和時代は30位前後で推移していた滋賀県の平均寿命が平成時代にウナギ登りにアップした、その要因のひとつに1987年以降、県政の主要施策として全県にひろげた健康推進員による静かな県民運動があるのではないか、ということも報告させていただきました。今後の新しいテーマとして追跡していきたいです。

第三部では、まず「あっぷる亭おれんじさん」の創作落語で、「やすのローバの休日」との題で、地元方言を交えながら、病院待合室での高齢者の家族にまつわる会話を再現しながら、嫁との緊張関係を維持しながら、そのことが高齢女性の元気を促しているあり様を演じ、会場からの大きな笑いを誘ってくれました。

フィナーレでは、日野原重明先生作詞・作曲の「新老人の歌」「ふるさと」「琵琶湖周航の歌」を、寺村紀代子さんのピアノ伴奏、瀬戸山元一最高顧問のジェスチャーまじりの指揮に合わせて、さざなみコーラスの皆さんが合唱下さいました。最後には川端五兵衛顧問・元近江八幡市長が、ユーモア交じりの挨拶で締めて下さいました。

シロウトづくりの運営で、映像の不手際などもあり、ヒヤヒヤ続きでした。皆さまには何かとご迷惑をおかけしましたが、今回の会合を機に新しい会員も増えました。「滋賀の会」として独立をして最初の大きな企画でしたが、顧問や会員の皆さまのご支援・ご協力により、無事終えられたことに、世話人一同安堵しております。

石清水由紀子事務局長が会合でも紹介して下さいましたが、2019年の夏頃には、「日野原重明先生メモリアルルーム」が琵琶湖畔の大津市北部北小松の「湖邸滋びわこクラブ」(滋慶学園グループ運営の研修機関)内につくられることになりました。書斎や寝室など、最後の時を過ごされた部屋が再現され、日野原イズムを学ばせていただく場になるということです。「おかえりなさい、日野原先生!」と天国の先生にお声をかけさせてもらい、滋賀県だけでなく、全国からメモリアルルームをご訪問いただけるよう、「滋賀の会」の世話人会としても働かせていただきたいと思います。(所在地:大津市北小松20-8 写真:湖邸滋びわこクラブ)

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