盟友で母のような小坂育子さんを無事送ることができました。

3月23日に盟友で母のような小坂育子さんを満開の桜の花で無事送ることができました。200名近くの方がご参列下さいました。ご参列いただきました方、参列はできなかったけれど心を寄せていただいた方、当日の運営の応援を下さった方がたに深く感謝いたします。今日は少し重たい「告白」を、勇気をもってさせていただきます。3月25日。

実は、小坂さんの昨年10月8日の全身癌発見をきっかけに、この冬に私自身健康診断を受け、初期の乳癌が発見されました。ただ、ありがたいことに早期の手術治療のおかげで転移もなくほぼ完治の見通しがつきました。主治医も「社会的活動に支障はない」と言ってくれております。早期に発見できたのも小坂さんのおかげです。

今後の活動としては、直前に迫っております統一地方選挙に出馬する県議選、市議選候補の仲間の応援を、「チームしが」代表として全力であたらせていただきます。小坂さんの命をうけつぎ、生かされている命を大事に「同行ふたり」の覚悟で、皆さんの協力もいただき、力をひとつにしてふたり分働きたいと思います。医療・健康分野では何よりも「早期発見・早期治療」を可能にする制度の充実と社会的意識の浸透を訴えていきます。

「無病息災」は理想ではありますが、現実には老いや病、あるいは障がいに悩み苦しむ人たちはますます増えております。「生老病死」は避けられず、「1病息災」あるいは「多病」であっても「息災」を目指して、老いや病や障がいに苦しむ人たちの願いや思いをまっすぐに受け止めて、少しでも苦しみが和らぐよう、願いが実現できるよう、誰にも居場所や出番がある、多様性を認める住みよい社会づくりが必要と思います。

42歳の1992年に胃癌で摘出手術を受け、疑似結核や喘息も経験し、それでも琵琶湖博物館建設や京都精華大学での教員仕事、ほぼ毎年のアフリカ・マラウイ湖辺やアメリカ、ヨーロッパでの水辺の調査、そして知事二期八年の激務やスポ大の学長職もこなすことができました。周囲の皆さまのお支えのお陰です。今回の乳癌。悩みました。苦しみました。周囲の皆さんに相談をさせていただきました。そして決めました。

「癌サバイバー」として、また老いの道をあゆみはじめた世代として、孫子(まごこ)の安寧を願う立場から未来世代のために「健康滋賀」の政策の一端を担いながら、新しい舞台で人生の仕上げの仕事をさせていただきたいと思います。

決意と覚悟は一層強まっております。皆さまのご理解とご支援をお願いいたします。

地元の皆さんと小坂さんといっしょにつくってきた橋板がたたずむ比良浜のわが家からは、残雪の比良山、遠方には比叡山系をのぞむことができます。比叡山のご本尊の薬師如来さまのご加護をいただきながら、命の限りを燃やさせていただけたらと、天台薬師の池・琵琶湖にお願いをしました・・・合掌。

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