5月28日、「巨木と水源の郷をまもる会」(小松明美会長)主催のトチノキ観察会に、息子修平と孫のさくらといっしょに参加をさせてもらいました。琵琶湖の西、安曇川源流部の高島市旧朽木村能家(のうげ)のスミガマ谷のトチノキは、急峻な傾斜地に胸高直径3メートルを超える巨木が5本、次々につながってはえている。周囲はスギ林、昭和30年代のスギの植林ブームの中で、地元の人たちが意図して残してくれた「奇跡の巨木」でもあります。先週の「全国トチノキ学ネットワーク」の講演会でも、トチノキは水が多いところに生えている、という森林生態学者の中静透さん報告通りの生息環境です。トチノキの足元からは琵琶湖源流の水が湧いています。5月28日。また長いです(2000文字)。
今回訪問した5本の巨木はいずれも、私の知事時代、2011年に始めた「滋賀県巨樹・巨木の森整備事業」で保存木に指定したもので、今、滋賀県全体で550本ほどにひろがった巨樹・巨木事業を始めた記念すべき地域です。2008年―2009年に海外からのトチノキ巨木需要に応じて民間業者が40本以上の巨木を伐採してしまったという報告が林業関係の県職員(Iさん、Mさん)を通じて、知事室に届きました。2010年の夏です。職員が知事に「直訴」で現場問題をあげるのは勇気が必要です。組織的にはやってはいけないことです。この職員の勇気に感謝です。というのは、当時、スギ・ヒノキを重視する林業職の間ではトチノキの価値はほとんど評価されていませんでした。正規の組織ルートでは報告されなかった現場の問題でした。
トチノキ巨木保全の出発点は、もともと個人所有の土地にある個人所有のトチノキの所有権が出発点です。所有者の方たちに、その価値を理解してもらわないと、いくら「水源林として大切」「生態的に大切」「文化的に大切」と言っても守りきれません。そこで2010年の夏、報告をあげてきた職員さんに、「地元のトチノキ所有者の方が、今後は伐採用に販売せず、保全をして次世代につなぎたい」という意思を表明してもらわないと県行政としての保全政策はできないと伝えました。地元の居住者の意識に根ざした「生活環境主義」の言い出しっぺの私の学者精神からは当然の要望でした。そして現場職員はそれに応えてくれました。
2010年10月15日、トチノキ保全要望を知事室にもってきてくれた時には、京大の河野昭一教授、植物研究者の青木繁さんといっしょに地元能家の伴正男さんが同席してくださり、「昔トチノミからトチモチをつくって食してきたその伝統を維持していきたい」と言ってくださいました。
またツアー最後は、焼き立てのトチモチのご馳走になりました。まもる会の河村良子さん、ありがとうございました。巨大なトチノミも集めておいてもらいました。藤村太郎さんにもってもらって記念写真。また針畑の地域づくりに精魂をそそぐ西川明夫さんが「山帰来」に来てくださり、ご自分で制作したトチノキ葉などをパウチにしたしおりや絵ハガキをいただきました。地元を愛する皆さんがおられるからこそ、トチノキ巨木林も次世代につながります。