Facebook 2019年10月7日 第12回 いい川・いい川づくりワークショップin 滋賀・京都

「第12回 いい川・いい川づくりワークショップin 滋賀・京都」、別名「川の日ワークショップ」。大津市内での熱いあつい2日間が終了。北海道から九州まで、全国から40団体の「川遊び大好き」「生き物大好き」「歴史と文化も知ってね」の大人と子どもたちが200名以上集まって、活動自慢の発表・交流会。批判はしない、良いところを盗んで真似する。「審査ではない」「公開選考」で選考員は背中に会場からの期待の視線を受けて、一票ずつを投じる。なぜそこに一票?ウイットとユーモアと本質をついた理由には会場からの拍手!今日はその歴史的背景をすこし紐解きます。また長いです(すみません)。10月7日。

今年18団体の入選、うち9団体の入賞、準グランプリは 滋賀県の甲賀市山内エコクラブの10年続けた高齢者の川や水辺での生活と遊びの記憶を心象絵図にして今に伝える活動に。大阪府高槻市芥川での住民と行政が協力をして魚の登りやすい魚道と川づくりも準グランプリに!そしてグランプリは兵庫県明石川の小学生グループの玉一アクアリウム。魚の調査結果を緻密な絵とグラフで表現。なによりも「僕たちにはまだ時間がある!」と時間の少なくなった高齢者の期待と共感を呼んで文句なくグランプリ!

日本中どこの川にも水路にも、もちろん琵琶湖にも生き物があふれ、今で言う川ガキが網をもって、あるいは手づかみで魚やザリガニをおいかけていた時代を知る人は今や「古老」になりつつある。生き物が多いと同時に洪水も水害も頻繁に起きていた。昭和25年生まれの私も明らかに古老の部類だが、川や水辺の研究や行政の仕組も昭和30年代から40年代の高度経済成長期を経て大きく変わり、「住民や地域の川」が県や国など「行政管理の川」になってしまった。それを私は住民目線で「近い川」から「遠い川」へと表現してきた。

全国で川や水路が白いコンクリートで固められ、生き物がすみにくくなった時代、一方で草刈りの手間も省けて洪水も一気に下流に流してくれる。その上、それまでは到底叶わなかった巨大なダムにより、数百億円や数千億円も税金を入れて政治家主導で「水害撲滅」を果たしてくれる。ダムは水道水源にも有効だ。湯水のごとくふんだんに水が使えるという時代が実現した。一旦、住民は歓迎した。

しかし一方で、川や水辺がコンクリートで固められ、生き物の姿が消え、水辺から子どもたちの姿も消えた。「良い子は川で遊ばない」「立ち入り禁止」の札が水辺を制した。そこに反省の思いを込めた人びとが立ち上がり、各地の運動仲間とともに平成9年、1997年の河川法改正へとつなげていった。明治時代の治水、昭和時代の利水にプラスして平成の河川法には「環境保全」と「住民参加」が加わった。

川の日ワークショップは、河川法改正を一つのきっかけにして始まった。「川の楽しさも怖さもあわせて一緒に生きていく関係を取り戻したい。そのためにはこれまでの川の見方、整備の考え方のチャンネルを変え、これまで思いもしなかった視点や知られざる川のタカラモノを発見しよう」というのが目的だったと当時の川の日ワークショップの呼びかけ人のひとり、故・森清和さんが記している(『私たちの「いい川・いい川づくり」最前線』8ページ、2004年、学芸出版社)。

私自身は1981年に琵琶湖研究所の社会科学系を担う自治体研究者として採用されたが、当時環境研究を担う自治体職員は水質など自然系が中心で社会人文系はほとんどいなかった。全国の職員リストを見ると唯一、横浜市立公害研究所に森清和さんという人がおられることをつきとめ、森清和さんを横浜の研究所に尋ねた。1985年頃と記憶する。同時に『多摩川』という雑誌に「川の歴史と文化」を連載する企画を知り、そこで山道省三さんと出会う。やはり1985年頃だ。

河川や水辺の関わりに歴史や文化の視点、また住民参加の視点が重要という自信をもって、1985年から「湖と人間」のかかわりをテーマとする琵琶湖博物館を提案させてもらったが、その背景には森清和さん、山道省三さん、そして柳川掘割物語の広松伝さんたちの理論と実践がある。そして1990年代には河川法改正への人文社会学からの発言に力を入れることになる。琵琶湖博物館は1996年にオープンできた。

2000年に京都精華大学が環境と人間のかかわりをテーマとする「環境社会学科」をオープンすると聞きつけ、真っ先に教員として応募したのも上のような背景があったからだ。京都精華大学では、琵琶湖と人の関わりをテーマとする地元学でのフィールドワークやアフリカのマラウイ湖辺での学生実習を取り入れた。

2006年の滋賀県知事就任以降、「水と人」「水辺と人びとの関わり」を琵琶湖政策の柱の一つに入れさせていただいたのも河川法改正に伴う社会意識の変化を埋め込みたいと思ったからだ。2008年から「淡海の川づくりワークショップ」をつづけ、今回全国大会を開催できたことは、何よりの喜びです。流域治水推進条例のための住民部会ともこの活動は奥底でつながっている。

会場で瀧健太郎さんが言っていた「はみ出し県職員」や、一伊達さんが応援していた外来魚釣りメンバーの水辺への愛情の深さ、グラレコ公務員実践の辻さん、また20代の若き学生時代から京都精華大学の環境社会学科の一期生としてリーダーシップの発揮には定評ある北井香さんなど、隠れ県職員や、はみ出し住民を中心に、多彩な運営プロが連携したその見事さに深い感銘を覚えています。

また新しい見える化の思いと技能がこもった、あるが ゆう さんたちのファシグラと、サポートチームの連携も卓越しており、見事に全体のキーワード・キーポイントを可視化!この過程にこそ意味があります。丁寧かつ想いのこもった記録がその場に参加されていなかったみなさんと思いを共有できるでしょう。来年の全国大会は中部地域で、と! 期待しています。

「古老」の長文、失礼しました^_^。

 

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