Facebook 2019年5月4日

<令和に生きる近江の祭り(その3)>高島市旧高島町大溝祭りを満喫させていただく。江戸初期にはじまって400年の節目の年。晴天の元、日吉神社の奥宮へのお参り、大型神輿の奥宮さんからの階段降ろし、曳山からの餅まき、五基の曳山の街中巡行。地元高島市だけでなく、大津や近江八幡、東京あたりからの参列者も多く、懐かしい方がたにたくさんお出会いできました。山と湖が出会う水路の町大溝。江戸時代からの古式水道の仕組み、上水・中水・下水の伝統的用排水についても同行の小松さん、石津さんに紹介。(1000文字)5月4日。

大溝城下町の起源は、ちょうど今から400年前の元和5年(1619年)、伊勢上野から分部光信公が大溝に着任された時に辿る。この時分部公が伝えたのが大溝祭りということで、祭りは旧城下町の5つの曳山組が中心となり、3日の宵宮と4日の本祭では美しく装飾された曳山が町内を巡行。その前に奥宮から担ぎだされた大型神輿がながい階段を担ぎおろされる姿も壮観です。

5基の曳山がそろった境内では餅まき。今日は知事、市長、県議、市議、そして伊賀上野市長なども参加をして餅まきには、境内溢れんばかりの人だかり。晴天の空に紅白の餅を求め、手と手が天空を舞う!一時の喧騒の後、曳山が町中へ。お囃子や曳き手には女の子も参加をしており、祭りの担い手も多様化しつつあるようでうれしい。町中での巡行、総門前に5基がそろい、そのあと湖辺のお旅所まで、今年の巡行ルートは長い。

私たちは、後半は水路探検。江戸時代の水道には2系統。武士町の飲み水は、日吉神社横の山王谷の水源から各戸に引いた取り井戸。古式水道とも呼ぶ。町民の飲み水は、小田川沿いの伏流水等。各家で井戸タツから水を取り入れ生活用水に。道路の真ん中には洗濯用などの水路とカワト。家いえの後ろには「背割排水」が流れ、最後には堀や内湖にはいり沈殿された後、琵琶湖へ。上水と下水を合理的に使いわける「伝統的用排水」の名残りが見えます。今のうちに詳細調査が必要です。日本遺産の重要文化的景観でも「大溝の水辺景観」はハイライトの一つです。

祭りで出会った人たち。地元高島の方たちに加えて、大津祭りの曳山の山車の素材となるカシの木を守るグループの人たち、石津さんの針江の隣人、高島高校の東京同窓会、びわスポ大の卒業生など、縁のある皆さまにお会いできて、晴天の祭りもいっそう晴れやかでした。

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