Facebook 2014年9月2日

スイスのエネルギー政策、水辺環境と原発 (7) 「近い水」の湧き水や蒔ストーブを残す生活意識は、再生可能エネルギーを生み出す土着的哲学と繋がっているのでは?

スイスの村むら、町まちには、中心広場に必ずと言っていいほど、湧き水がのこされています。個別の農家にも湧水があります。場所によっては昔の洗濯場ものこされています。そしてどれもゼラニュームなど美しい花が飾られ、時として英雄の彫像などともに大事にされていることがわかります。

1994年に最初にスイス訪問以来、レマン湖博物館のベルトラ学芸員と水場探しをしました。私たちの動きに刺激されて本にまとめた人もいます。(今その本、引越中で不明)

日本では昭和30年代以降、農村部にも水道が広がり始めますが、すると地域の湧き水や井戸などは「不潔」「遅れている」「恥ずかしい」「湿気る」「邪魔」「水道ができたら不要」などいろいろな理由でつぶされてきました。行政的には衛生上の問題などから、昔からの水場をつぶす働きかけもあったようです。そして一気に集中的管理の「遠い水」に依存するようになりました。

私たちは「水と文化研究会」という住民グループを1989年(平成元年)につくり、地域や家のなかの湧き水や井戸の大切さ( 夏冷たく冬暖かい使い勝手、水道が止まった時の代替水源、見える水とのふれあいの心豊かさ、地域の水の宝等)を訴えてきました。琵琶湖博物館には湧き水利用の彦根の民家(冨江家)を移築してその大切さも訴えてきました。

その関係もあり高島市針江のように、村中で湧き水(カバタ)を残し、伝えていく活動をはじめたところもあります。今回の世界湖沼会議でも針江の住民の方が発表します。ただ、すでに壊してしまった地域も多く、残念です。

スイスやドイツでの今の再生可能エネルギーの広がりは、身近に昔からある地域の湧き水や森の樹木を大切に思う、そのまなざし抜きには語れないでしょう。

「おばぁちゃんは川へ洗濯に、おじいさんは山に芝刈りに」という桃太郎の暮らしぶりを単なる昔話に終わらせることなく復活することこそ、再生可能エネルギーを生活で活かす哲学に繋がるのではないでしょうか。

欧米に追いつき追い越せと外ばかりみて、足元の資源や文化の意味と価値をあらためて見直す国民運動が必要かもしれません。

今、三日月新知事たちが参加している、イタリア、ペルージャで開催されている「第15回世界湖沼会議」でも、水を守る「ハードウェア」(上下水道などの施設系)、「ソフトウェア」(水質保全制度など制度系・事業系)に、プラスして「ハートウェア」(心、価値観のあり方)の重要性が議論されるはずです。

湖沼会議が1984年に始まってまる30年。「水や水辺への文化的価値」の重要性を30年言い続けた結果、ようやく市民権を得始めたようです。うれしいことです。

美しく残されたスイスの街中の途切れることなく大地から湧き出す湧水は、原発のような人間が制御しきれない技術に頼る文明の危なさも示唆しているように思えてなりません。ノスタルジーでしょうか?

(写真 今回スイスで出会った湧水 ①ベツナウ原発近くのレストランにて、②ベルン近郊農家ザルツマン家の湧水、 ③ビール湖を見下ろす古代遺跡跡に残された三段湧水、④ビール湖西岸ランデロンの町中で、⑤1866年の名盤がはいるビール湖西岸の村にて、⑥世界遺産の街、サンクトガレンの街中で、⑦同じく、サンクトガレンの駅近くで、 ⑧レマン湖畔の町、ニヨンにて。レマン湖博物館ベルトラ館長と、⑧ニヨンにて、「飲めます」という唇マークつき、⑨レマン湖博物館入口にて、⑩ジュネーブ、ローヌ川出口広場にて、「下水道再利用水にて飲めません」と表示あり。

次にスポーツ大学運営とアールブリュットについて報告しまう。長い報告へのおつきあい、ありがとうございます!

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