Facebook 2014年9月11日

スイス便り(8)、スイスと日本、似た国同士の国交150年周年を記念するアールブリュット“日本-スイス展”訪問と、オリンピックはじめ国際スポーツ機関が集中するスイスの、連邦スポーツ大学 マックリンゲン大学訪問。

日本とスイスの国交が樹立されたのは1864年(文久4年)。今からちょうど150年前です。

西欧の列強が帝国主義のもと日本に開国を迫り、英・仏・米・蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃したその1864年にスイスは、列強とは別の戦略にでます。日本と修好通商条約を結び国交を樹立しました。

永世中立の国スイスは帝国主義的時代精神には無縁だったようで、この条約はあくまでも、自由貿易を目指したものでした。日本はその後、ドイツ、イタリアとともに植民地拡大の帝国主義的戦争へと突入していきますが、スイスは永世中立国の姿勢を貫き続けます。

私がスイスを最初に訪問したのは1994年。琵琶湖博物館準備のためにレマン湖博物館を訪問した時ですが、それ以来何度もスイスを訪問していますが、スイスと日本の類似点は多いようです。

今回も古くからの友人のレマン湖博物館館長のベルトラさんと再会し、中世の町ニョンでレマン湖の夕焼けを眺めながら、ワイン農家のご苦労に感謝しながらワインで乾杯。ベルトラさんも日本を何度も訪問しており、今後の博物館の将来などについて議論しながら、幸せな時間を共有しました。

さて、スイスと日本の共通項ですが、まず山がちの国土、平野が少なく河川や湖など、水に囲まれた国であることが共通です。国民性はまじめで勤勉。労働集約的な1000年に亘る日本のコメづくりと、急峻な崖地でローマ時代からブドウを育てワインづくりをしてきた農業文化は意外と共通点があるようです。近代化の中で、両国とも時計などの精密機械などに優れ、鉄道も高度に発達しています

しかし、両国には決定的な違いがあります。それは永世中立、連邦制、直接民主制など、政治体制や政治への姿勢です。地域自治が発達したスイスの直接民主制をみていると、日本の江戸時代の村落自治の仕組みを想いおこさせます。中世以来の集落自治を今に活かすのがスイスといえるでしょう。

国土の隅々までなめるように美しく保つためには、地域を美しく飾るお互いさまの農業コミュニティ意識の存在と、国家として農業景観を維持し、観光資源とするための直接支払い制度の両方が必要です。

そして、今後の日本の美しい自然あふれる国土、文化、歴史、そして未来の子どもたちへの永久平和を思うとスイスこそ、日本社会がめざす国家イメージではないか、と私自身は思っています。

ちなみに在スイス日本国特命全権大使の前田隆平さんも、「スイスは豊かな観光資源を持つ一方で,天然資源などは乏しく,日本と同様の“持たざる国””として国際社会でどのように生き抜くかを深く考えながら進んできた国でもあります。この観点からすれば,スイスは日本にとって非常に勉強になる国であり,またそのような勉強を通じてこの国への理解もより深いものになっていくと思います」(スイス大使館HPにて)と言っています。

現在,スイスには約9300人の在留邦人がおられ,人口比を考慮すれば欧州トップクラスの在留邦人密度ということで、日本とスイスの関係がいかに緊密か示唆的です。

そして今、150周年を記念するさまざまなイベントを含む文化・政治・科学技術・経済に関する交流が行われています。滋賀県にとって意味深いのが、東部の歴史都市、サンクトガレンで開催中のアールブリュット「日本-スイス展」です。ここの訪問についてはスイス便り(10)で報告させていただきます。

その前に、スイスとスポーツの関係について、少しふれてみます。

まずスイスといえば、近代オリンピックの父といわれるピエール・ド・クーベルタン男爵が眠るレマン湖畔のローザンヌは国際オリンピック委員会(IOC)の本部があり、オリンピック・シティーと呼ばれています。またチューリヒのFIFA本部をはじめスポーツ国際機関が集中しており、国際野球連盟(IBAF)や国際水泳連盟(FINA)、国際スケート連盟(ISU)、国際バレーボール連盟(FIVB)など、その半数以上がローザンヌに本部を置いています。

永世平和を維持するための国際的に生き抜く手段としてスポーツを活用しようとしたのかどうか、スイス国家としての意図はわかりませんが、金融やスポーツ、そして精密機械なで世界の中心を担うという国際社会で生き抜く姿勢が見えるのではないでしょうか。

嘉田自身、10月1日から「びわこ成蹊スポーツ大学」学長という役割を前向きに遂行するためにも、世界各地のスポーツ系大学の運営を学びたいと考え、その手始めに、スイスで唯一の連邦スポーツ大学である、マックリンゲン大学を8月27日に訪問しました。副学長のウルス・メーダー氏に大学施設をご案内いただくとともに、スイスのスポーツ事情や大学運営について意見交換しました。そのレポートを次に紹介します。

(写真 ①レマン湖畔のワイン畑は、日本の棚田の美しさと共通、② 機械化できない、断崖のワイン農家では重たい労働が! ③レマン湖博物館館長のベルトラさんと、④ニヨン城前でベルトラさん田端さん、⑤ ワイングラスに映るレマン湖の夕景、 ⑥ ワイン農家の苦労に感謝しながらベルトラさんと乾杯)

先頭に戻る