Facebook 2014年3月17日

高島市朽木で開かれた「しこぶちフォーラム」に参加。筏文化を復活しようとびっくり提案!(長いです)。

3月16日。午後から高島市朽木で開かれた「しこぶちフォーラム」に参加。

「しこぶち」というのは、安曇川流域に残る固有の水神信仰で、今も「思子淵神社」「志古渕神社」といった名称のお社が存在しています。

かつて林業が盛んだった頃に、安曇川上流から材木を運び出すため、豊富な川の水を利用した筏流しと関係が深く、「ガワタロウ(かっぱ)伝説」などとともに川を下る人々の安全を見守る神として祀られています。

今日は、地域に入って「しこぶち信仰」を調査されている方や筏流しの挑戦者などが集まり、この「しこぶち信仰」という地域固有の文化に迫る講演やパネルディスカッションが行われました。

まず、第一部の講演では、高島市文化財保護審議会委員の石田敏さんから「安曇川流域の筏流しと林業遺構」というテーマで、かつての筏流しの様子や、川の難所につけられた名前などを調査して作成された「安曇川リバーマップ」について紹介がありました。

住民の皆さんへの聴き取りなど3年をかけて調査されたとのことで、一つひとつの瀬や淵に特徴ある名前がつけられていることが分かり、当時の筏流しの様子をイメージできるとても興味深いマップです。

続いて、京都大学東南アジア研究所の嶋田奈穂子連携研究員からは、安曇川流域の「しこぶち信仰」に関わる神社の立地について調査した結果の報告があり、川の屈曲部や合流地点など、「しこぶち」神社がある場所の特徴などを説明されました。

第二部では、京都精華大学の丸谷研究室で作成された朽木針畑の生活記録映像の披露があり、かつて林業に携わられた住民の記憶や生活の様子などが映像にまとめられていました。大変貴重な資料です。

第三部のパネルディスカッションには、岡山の株式会社西粟倉・森の学校の代表取締役である牧大介さん、保津川遊船企業組合の船士 河原林洋さんとともに私も参加し、石田さん、嶋田さんを含めて5名で、「しこぶち」をめぐる議論をさらに深めました。

私からは、「しこぶちフォーラム」のチラシにも使われている筏流しの貴重な写真を写した元三羊館の石井田勘二さんについてのエピソードと、筏流し復活への期待を申し上げました。

河原林さんも亀岡で筏をつくり、実際に復活に努力なされた経験は迫力がありました。筏の文化が山と町とをつなぐシンボルとして機能することを期待されていました。

牧さんは「しこぶち」という歴史文化がしっかりと残っていることは、物語性のような付加価値面からも大切な資源だとおっしゃっていました。

生活から遠くなってしまった川と森とのつながり、あるいは自然への畏敬の念を取り戻すための一つのシンボリックな存在としての筏流しの復活を私から思いきって提案をしました。会場からも賛成の声や拍手が起こりました。

また近畿圏の琵琶湖淀川水系の流れを考えた時、安曇川・琵琶湖からの筏が桂川・保津峡からの筏と、三川合流部で「ランデブー」して大阪にいっしょに下ったらどうでしょう!と提案しました。

会場には、環境科学研究センターの内藤センター長もお見えで、「石油資源がなくなることが確実な将来には、自然重力を活用した筏は未来技術だ」と強調してくださいました。

「しこぶち」をめぐる地域固有の文化を学ぶことで、私たちの生活に新たな気づきを与えてくれるとともに、上流域と下流域との関係のような少し政治的な側面にも有益な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

刺激的で未来創造的な出会いの場でした。準備くださいました皆さん、ありがとうございました。

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