Facebook 2015年1月16日

JOC理事、荒木田裕子さん、波乱万丈の人生から学ぶ!1月15日 「東日本大震災でアスリートの力を実感」「語学力が私を助けた!」「引き出しを多く!」「新聞はかならず読んで!」

約1200人の学生と一般聴講者を前に1時間近くの対談。

秋田県の子ども時代の遊びから中学校でのバレー競技、高校を出て日立の実業団へ。学校の行き帰り走りまわりながら、仲間と徹底して遊び、中学校でバレーに出会い、高校で全国大会出場、教員になりたいと思ったが大学にいくよりも早く稼ぎたいと実業団日立に入部。1970年代に世界三大大会のすべてで金メダルをとり、輝かしい競技人生を経験。やりきったという気持ちで引退、スイスに渡り指導者としての道を歩みはじめ、その後、イギリスなど、語学学習を徹底。やりたいと思ったらすぐにチャレンジ!ただチャレンジするためには、選択し(引き出し)をたくさんもつ必要がある。そのために、日々の勉強が大切、特に新聞を読み視野をひろげることが大切。

オリンピック招致には1981年の名古屋招致からはじまった。その時はじめて振袖をきて招致活動、その後、4回招致にかかわったが、三回目までは、「なぜ日本?」という理由が招致しながらも強く自覚できなかった。今回四度目のリオでの東京招致は、「3.11の大震災をうけて日本がここから出発する」という大変強い思いがあった。この思いを育んだのは、3.11直後に、アスリート自らが、「東北のために何ができるか!」と必死に団体や個人ですすめてきた支援活動があった。いつも応援してもらったアスリート側から、今度は自分たちが支援する側だ、と大変強い思いが行動につながった。3.11後の活動を続ける中で、「スポーツの力」で世の中を変えられるという実感をもつまでに行動が高められた。

2006年以降「アスリートナビ」という活動を始めた。かつてのように企業が丸抱えでアスリートを支援できない。そこで徹底的に全国で企業まわりをしてヒヤリングをした。発見したのは、アスリートが特別視されていること。そこで「私はこういうことができる」という自分の言葉で語りアピールするキャラバンをつくり多くのアスリートを企業の営業や広報など一般の業務に正規採用してもらえるようになった。今は企業側の要望にアスリートの側の供給がおいつかないほどだ。

東京オリ・パラには新しいレガシー(遺産、語り)が必要だ。それは、スポーツだけにかかわらず、むしろ日本人が自分の文化をよく知らない、その日本人自身が自己の文化を発見し、発信する舞台にもなるはずだ。オリンピズムは、肉体と内面の文化的資質を高め、均衡のとれた人生哲学でもある。東京だけでなく、文化といえばむしろ関西やこの琵琶湖周辺など、魅力的な文化もたくさんあり、事前合宿の招致などと並行して文化的プログラムも、滋賀県やびわこ成蹊スポーツ大学が協力をしてすすめてほしい。

モントリオールの金メダルも持って来て下さいました。

講演後には、「明日から自分が前向きに勉強する力を荒木田さんからいただきました!」というメイルを送ってきた学生もおりました。

荒木田さんは明日からまた海外での普及活動に出られるということ、ご多忙のところ、本日は滋賀県のスポーツ関係の担当者とも講演後、交流いただきました。ありがとうございました。

 

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