Facebook 2017年10月24日

「民進分裂」と「台風」二つの逆風に負けた選挙でした!もちろん かだの「力不足」が最大要因です。

第48回衆議院議員選挙、滋賀県選挙区第一区でかだ由紀子に一票を託していただきました79724名の皆さま、また事務所などでお手伝いいただきました多くの皆さま、電話やハガキ書きで応援いただきました皆さま、本当にありがとうございました。まさに「手こぎ舟」の草の根支援をいただきながら「当選の港」に到着できず大変申し訳なく思っております。川端達夫前衆議院議員が10期31年にわたり守ってきた働く者の代表の議席を守りきれなかったのも残念です。かだ由紀子の力不足です。深くお詫び申し上げます。写真は「台風一過」後の我が家の前、「橋板」は沖合に置き去り。琵琶湖の水位はプラス44センチです。10月23日。大変長いです。

滋賀県各地で、台風21号の被害が出ている中、被害に遭われた皆さまの一刻も早い復旧を願いつつ、ここ20日間の選挙戦状況を、立候補者としてポイントを絞り、「遠い政治を近くに」を理念としてきた私自身の思いとその結果をお伝えしたいと思います。落選の言い訳でも何でもありません。立候補者でないとわからない選挙状況の裏側もふくめて、つづらせていただき、今回の結果を受けて、「あきらめによる政治ばなれ」がおきないよう、次へのエネルギーを注入するための文章でもあります。

10月2日の私の立候補理由は次の三点を訴えました。まずひとつは「怒り」です。今の日本の政治、特に自民党安倍政治があまりにも「政治を私物化」していて、同時に「子育て」「女性活躍」「1億総活躍」などコロコロと口先だけの表明をし、本気で実現しようとしない。政治家として信頼がおけない、という政権運営姿勢への怒りです。政治経験者として「ほっとけない」という思いでした。特に憲法で規定されている国会議員が求める国会開催要求を何ケ月も放置をして、9月28日国会を開催すると同時に「解散」は、総理大臣の横暴ともいえ、国会軽視、国民軽視です。

二点目は、地域の人たちから「もう一度政治家としてガンバって欲しい」という声がありました。2006年からの知事二期8年で、財政再建や子育て、女性参画、環境政策など、嘉田の滋賀県知事としての地方自治の経験を国政で活かしてほしいという声をたくさんきいております。新幹線新駅や6つのダム、廃棄物処分場など必要性の低い公共事業をやめて、子育てから高齢者福祉まで「人生の応援団政策」をすすめてきました。結果、今全国で問題となっている安倍総理も「国難」のひとつという「少子高齢化問題」にひとつの答えをだしてきました。人口あたり出生率は沖縄を除いて全国一位、高齢者の寿命も全国一位となりました。イナズマロックフェスや「生の芸術」(アール・ブリュット)など、文化的事業を開始し、滋賀県の自信、誇り、ブランド意識も育ててきました。

また地元スポーツ大学学長の3年間、今の学生の経済的困窮に日々、直面して心を痛めてきました。半分以上の学生が「奨学金」という「就学ローン」を借りなければ生活できない。授業料もおさめられない。卒業時に500万円以上の借金をもって卒業。非正規雇用も多い。3年後には3割が仕事をかわる。教育費負担の軽減は国家的課題です。

三点目は川端議員の引退という中で、政治の大先輩である川端議員と民進党の前原代表からのお誘いう受け、その責任の重さを強く感じました。前原代表の「安倍政権を終わらせる」という強い意思に共感をしておりました。

10月2日に私自身「無所属」で立候補表明してから20日間という本当に短い選挙戦でした。10月22日の投票日までたった20日。相手は5年間、衆議院議員として地道に日々活動してこられた現職ともうひとりは主張が明白な新人です。2006年の初めての知事選挙でも7月2日の投票日2ケ月半前の4月18日が立候補表明でした。何とも短期間の選挙活動です。その上、知事選挙であるなら政党推薦を受けようが無所属だろうが、選挙活動の「資源(武器?)」はいっしょでした。ところが今回は政党政治を元とする国政選挙。無所属には政党公認の候補と比べて6つのハンディがありました。

① 比例選挙との重複立候補がないので「比例復活」がありません。小選挙区で1票でもまけたらそれで終わりです。②テレビでの政見放送もありません。「かださんさぼっているの?」と聞かれましたが公認政党がないので政党がつくる政見放送がありません。③公的掲示場ポスターに1枚のポスターだけ。街角や田畑のあぜに、ところせましとはられているあの大型顔ポスター1000枚分の許可がありません。滋賀県選挙区には大岡さんと川端さんふたりのポスターばかり。私が川端さんの後継と言われても政党所属がないので、嘉田のポスターを川端さんの上にはるわけにはいきません。④ハガキ枚数は半分ほど、⑤政策ビラも半数ほど、⑥選挙カーも候補者カー1台だけ、政党カーがありません。

つまり「目」「耳」「頭」すべてのメディア手段が限られていました。それゆえ、投票日前日の10月21日夜の駅立ちでも「嘉田さん、立候補していたの、知らなかった!」という声を聞くほどでした。日が限られている中で、まず立候補していることの周知、また政策内容の周知も大変きびしかったです。

10月2日のその時、「比例区は希望で」と発言したことが、その後のかだ批判のひとつの理由になったようです。直後に「小選挙区は無所属、比例区はそれぞれご支持の政党名を」と上書きしましたが、なかなかひろまりませんでした。希望への期待は、滋賀県の4つの選挙区の仲間たちへのエールと、9月末の希望発足所期の期待にありました。

9月28日に安倍総理の突然の解散宣言、その日午後の民進党前原代表と希望の党小池代表の「安倍政権を倒すために大きな固まりになるしかない」というふたりの合意に最初は私自身かなり期待しました。というのも2012年12月の衆議院議員選挙で「卒原発」を焦点に「日本未来の党」を自ら知事でありながらつくり、党代表になりました。まさに今の小池知事のような「二足のワラジ」をはいていました。ただ、当時の民主党と小選挙区で争う場面が多く(121小選挙区中119選挙区で)、結果的には大敗をして政権交代を許してしまいました。この極めて固有な失敗経験の中から、私は前原・小池「合流」を一瞬は歓迎しました。

ただ、その後の小池代表の「寛容な保守」と言いながら公認プロセスで「踏み絵」を踏ませ、「排除します」という言葉や、10月に入ってからの鹿児島県川内原発の地元の避難状況の不備に配慮せずに「再稼働了解」という発言などでだんだんに希望の党への期待がしぼんできました。

そんな中でも、10月2日直後から、川端前議員のお力を借りながら事務所体制をつくり、名簿を集めハガキ書きの依頼組織をうごかし、政策ビラの内容を詰め、新聞各社からの政策アンケートをまとめる、などこの限られた時間の中で、たくさんの仲間たちに支えて頂きました。10月10日以降は、公営掲示板へのポスター貼り、連日の駅でのビラ配りの仲間集め、選挙カーの運行、個人演説会の準備など、本当に多くの仲間の支えがありました。

10月10日の公示日、大津駅前の出発式で、私自身はまさに、相手は東京の政党本部から大きなエネルギーを注入される「軍艦」、それに対して、私たちは草の根「手こぎ舟」。軍艦は石油がないとうごかない。手こぎ舟は、おひとりお一人のやる気、エネルギーがあればできる。皆さんそれぞれに手こぎ舟の漕ぎ手になっていただき、当選という名の港を目指してお力を貸して下さい、とお願いしました。特に滋賀県では、「滋賀のことは滋賀で決める」という心意気、1974年の武村県政、2006年の嘉田県政、2014年の三日月県政、それぞれに巨大な自民党体制に、草の根で対抗してきた「志」があります。私自身はこの志を、投票所での「鉛筆一本の勇気」という表現をしました。

当初遥か先を進んでいた相手の軍艦。安倍総理大臣までが応援に来て、沢山のエネルギーを支援してもらい、さらに巨大な軍艦となり、私たちの行く手を阻んで来ました。

選挙運動は最初の頃は暑くて真夏のような日照りの中での訴え、でも後半は雨降り、荒天に悩まされました。雨降りの中では、街宣車をすすめても、締め切られた窓の向こうに、この声が届いているのだろうかと不安になり、押しつぶされそうになることが何度もありました。その度にこの小さな手こぎ舟、『かだ丸』を漕いでくれる仲間が、「大丈夫!」「こっちだよ!」「嘉田さん頑張ろう!」と手を差し伸べてくれたことで、何度も何度も立ち上がることが出来ました。

大津、高島をまわり、たくさんの人から直接託された思いも、手こぎ舟の原動力になっています。「嘉田さん、アベノミクスの効果なんて、ここには届いてないんだ。大企業ばかりが優遇されて、この5年でちっとも暮らしは良くなってないんだよ」「嘉田さん、もっともっと子どもを産み育てやすい国を作って!」「嘉田さん、子どもたちが戦争に巻き込まれるような国にはしないで欲しい!」。話を聞くたびに、本当に多くの皆さんが、今の暮らしと未来に不安を感じているんだと改めて知ることが出来ました。

雨の中、軒先に出て下さる人や、窓から手を振ってくれる人、集会で声をかけてくれる人など、色んな人から悩みと苦しみの声を聞き、託された思いの大半が、滋賀県知事時代の経験と蓄積を基礎に国政で働かせていただきたい仕事でした。これだけ国民が大変な思いをしているのに、この声が国政には届かない。そんな政治は、国民の為の政治ではありません。誰の為の政治なのか?誰の為に国があるのか?安倍さんの為に国があるわけではありません。国民の為に国があるんです。

国民がいるからこそ、国が成り立つんです。その国民をないがしろにして、国民の代表である国会をないがしろにして、お友達や思想的に近い仲間ばかりを優遇する「今の国政、ほっとけない!」この怒りを国に届ける為には、あと一票、もう一票と、訴えてきました。

遥か遠くに見えていたはずの軍艦は、その大きさゆえに小回りが利かず、大企業の力や大物弁士の力を借りるばかりで大周りしています。私たちの手漕ぎ舟は、小回りが利きます。どこにでも自由に向かうことが出来ます。海は大荒れ、天気も悪く、太陽の見えない大雨の日ばかりが続いていました。だからこそ、険しい道をかいくぐり、岩場の間を潜り抜け、この短い選挙戦でようやく横一線のところまでたどり着くことが出来ました。気づけば数艘だけで出港したこの舟の周りには、本当に多くの皆さんのご自身の手漕ぎ舟で、一緒に港を目指してくれています。

そしていよいよ決戦の22日投票日。「超大型台風」と低気圧による「大雨警報」が朝から出て、午後は「暴風警報」まで加わった悪天候。朝のうちの出足は良かったものの、午後は出足が悪く投票率は前回を少し上回る程度。組織票を持つ軍艦に有利な選挙になりました。残念ながら、暴風雨の向こうに虹のかかった当選という名の港に到着できず、最後の最後までお伝えした私たちの思いは届きませんでした。

改めてこの場を借りて、厚く御礼申し上げます。この12日間、本当にありがとうございました。まずはお礼を申し上げ、今後のことはまた皆さんのご意見を聴かせていただきます。

2017年10月23日 かだ由紀子

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