Facebook 2014年1月3日

元養蚕農家の古道具探索! よみがえる 子ども時代の仕事!

母屋を裏側からみると、空気抜きの小屋根がわかる。二階や長屋に保存されている古道具類について、保存してくれている兄に案内してもらいました。

リヤカーは今も畑仕事をする兄が使っていて現役、孫をつれて畑にいくのが楽しみという。

わが家では昭和30年代末まで養蚕が主な収入源で、春から秋まで4-5回の掃き立てをしてお蚕さんを育てていました。

お蚕さんは小さいうちは、カイコ棚を組み立て、カゴの上に蚕糸をひろげ、その上で育てます。

この時期には、桑は葉の形で給餌をします。小さい時には、桑切り台で葉を切り刻んだものを与えます。「明治32年渡邊清作新調」という桑切り台もありました。

お蚕さんは5回の脱皮(5令)をくりかえし成熟します。3令ほどに大きくなると、家中の畳をあげて、床の上にムシロをしいて、そこに列をつくって、今度は桑は枝毎、長いままで給餌します。

家中、土間から8畳4間の座敷まですべてお蚕さんに占領されるので、春から夏、秋と、年5回の養蚕時期は、人は廊下などの隅に追いやられます。ザワザワとお蚕さんが桑を食べる音は今も鮮明によみがえります。4令、5令となると、だんだん桑の枝が積み重なって山のようになります。

5令になり10日ほどすると、透明度がましてきて、熟蚕となり、上族(じょうぞく)(繭つくりの場・マブシに移す作業)します。

私が幼い頃は、藁山のマブシを使っていましたが、昭和30年代にはいってダンボールのマブシが出現、繭かきをするのに、ひとつずつ手でとることなく、抜き型で能率よく繭をぬくことができるようになりました。

出荷前のお化粧のため(?)、繭の周囲のケバとり作業があり、手回しのケバとり機でやりました。

お蚕さんの上族の仕事から、繭かき、ケバとりなど、子どもでも十分役にたつ仕事で、私自身は家族総出での仕事が好きで、特に苦労をしている母を少しでも助けたい、と真っ先に繭かき、ケバとり仕事などをしていたことを思いおこしました。

天井柱には、昭和30年代のものと思われる、マブシから逃げ出したと思われる蚕の繭が残っていました・・・。

父母の思い出、兄、姉、祖父母など、家族総出で、生業をささえていることのやりがいは、サラリーマン家庭ではなかなか味わえない、充実感がありました。

当時を思いおこさせてくれた道具たち。ホコリをはらって、興味のある方たちに見せられるようにできたら、と思います。

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