Facebook 2015年5月19日

5月18日、お誕生日のお祝いメッセージ、たくさんにありがとうございました!琵琶湖ブルーの青いバラあり、おいしそうなケーキありで、感激しています。(長いです)。

おひとりずつに返信させていただかなければいけませんのに「まとめ返信」お許しください。おかげさまでますます元気はつらつ、知事時代にはなかなか出かけられなかった滋賀県外にも足をのばすことができ、またもちろん滋賀県内も、歩いて・走って・受信・発信、させていただいております。

スポーツ大学の元気な学生さんと日々接していると、こちらも元気をいただきます。

またもったいない県政を政策継承しながら、新しい仕組みにチャレンジしていただいている三日月大造現知事から、地元守山産の花束をいただき、ご機嫌な写真、披露させていただきます(微笑)。

さて、2015年5月。日本の未来がますます危うくなっています。「一強多弱」の国政は原発政策や平和政策、やりたい放題です。地方からこそ、命や子どもたちの未来にむけて勇気ある発信をしていかないといけません。今、この時期、この時代に私たちはどう自らの暮らしを律して、社会的活動をし、政治や行政にかかわっていくべきか。何よりも孫子に誇れる政治・行政を実践する責任があります。

私は1950年(昭和25年)。戦後混乱期の埼玉県の養蚕農家で生まれ、日々農業労働と大家族の世話に明け暮れて当時は不治の病と言われた結核に犯されながらも最大の愛情を注いでくれた母親から忍耐強い「生活者」としての魂を受け継いだと思っております。電気もガスも水道もないアフリカで研究者としての道を歩みはじめ、アメリカ留学の学びのなかから日本の環境研究の重要性を教えてもらいました。

人間だけでなく生き物の命の原点である水や森や大地と人間のかかわりという環境社会学研究、そして子ども・女性・若者という立場の弱い人たちのために住みよい社会をつくりたい、と思ったので学者の道を目指しました。自ら子どもをふたり授かり、命を宿す母親としての実感に根ざした学問を目指しました。

ただ、学者としていくら論文をかき、書物をかき、行政の審議会や委員会で意見をだしても、社会変革の実践者にはなれない、という気づきから、2006年、本当に思いきって無謀な滋賀県知事選挙に挑戦しました。自公民200団体推薦の現職の「軍艦」のような選挙態勢にたいして、まさに「手漕ぎ舟」のような選挙でしたが、県民の皆さんが、「みっつのもったいない政策」(財政問題、子育て問題、琵琶湖問題)を評価していただきそれぞれの「鉛筆一本の勇気」で知事に押し上げていただきました。

8年間の現職知事時代の仕事は、まじめで優秀な県職員と、いつでも笑顔で応援いただいた県民の皆さんからのお支えのおかげで、「税金の無駄遣い」ともいえる大型公共事業(新幹線新駅、6つのダム、廃棄物処分場)の「凍結」「中止」を実現し、900億円借金を減らし、300億円の貯金をつくらせていただきました。ダムだけに頼らない治水条例も全国ではじめてつくらせていただきました。

もちろん多くの県市町議会議員のみなさま、市長町長さんたちからの学びと協力もおおきかったです。

「子どもの笑顔輝く」子育て三方よし政策は、女性に仕事か家庭かと二者択一を迫らない、若い人たちができるだけ正規の仕事につくことで、希望の家族をつくり希望の子育てができる仕組みをつくってきました。おかげさまで、人口あたり出生率は、全国二位にまで回復しました。

「琵琶湖の環境壊したらもったいない」という目標にたいしては、戦後の琵琶湖三大破壊ともいえる、「内湖干拓」「琵琶湖総合開発」「外来種問題」にたいして、「生態系の再生」と「琵琶湖と人々のかかわりの再生」という多方面からの政策をつみあげ、在来魚種にも回復のきざしがみえてきました。

人びとを内面から元気にする「文化やスポーツ政策」、もちろん暮らしの基本である「雇用・経済」「医療・介護・福祉」政策にも力をいれてきました。

ただ、私が知事時代、どうしても知事としての力が及ばなかったのが、「原発・エネルギー問題」です。ここは今、三日月知事が思いを継承し、新しい組織づくり、政策づくりに挑戦してくれております。

私は立場的には自由度が増したことから、原発政策をめぐる倫理・哲学・思想の問題から解き始め、未来世代に負担のつけまわしをしないエネルギー政策の実現にむけて一層勉強をしながら、受発信をさせていただいております。

「65歳」の誕生日、大津市役所から「介護保険証」が送られてきました。「前期高齢者」の仲間入りということですが、自分はいつまでも「昭和25歳」と思っております。皆さんと今後も一層、おつきあいいただけましたら幸いです。

長文をおよみいただきありがとうございました。

 

先頭に戻る