Facebook 2015年5月30日

大阪都構想は何だったのか?橋下さんとはどういう政治家だったのか?(長いです)

(その3) 大阪維新の会がかかげる「地域主権」や「道州制」は関西にとってどういう意味があるのか?

昨日から今日にかけて24時間の間に600人に近い人たちの「いいね!」をいただき、30を超えるコメントをいただきました。皆さんが日々お住まいの地理的、社会的背景からコメントをいただく方の実感意見には幅がありますので、ここは表向きの「論理」のところで振り返りをさせていただきます。

「大阪都構想は二重行政解消どころか三重行政化の懸念」の嘉田の解説については、多くの方が具体的な水道局や大学問題についての実務に基づく説明からご納得いただいたようです。私自身は社会学を学びながら、滋賀県職員としての河川政策、琵琶湖環境政策の実務にも携わってきたので、橋下さんよりは現場の実務を理解していたと思います。

ただ同時に「三重行政化を知りながら、なぜ嘉田さんは大阪市の住民投票前に声をあげなかったの?」という質問をいただきました。ここについては、私は関西の中の前知事として、橋下さんがかかげる「二府四県を廃止して道州制に」という方針には反対の立場を保ってきたがゆえに、あえて反橋下の意見を表明することを控えました。投票はあくまでも当事者である大阪市民の判断に任せるべき、と考えたからです。

さて、橋下さんとの「地域主権」にかかわる政策協働をすこし振り返ってみます。

2008年末から2009年にかけて、中央集権の国主導である大戸川ダム事業に、その治水効果が限定的であることを滋賀県として証明し、橋下大阪府知事、山田京都府知事、嘉田滋賀県知事と上下流知事が協力をして「税金の無駄遣い」と反対。歴史的にも、国のダム推進という事業に複数府県知事が合同して反対をした事例は初めてです。国政策からの自立を果たして、地域主権の実績をつくりました。

あわせて、国の事業に自治体が負担する「直轄負担金」の内訳が不明確で、100億円の負担金がA4一枚の漠然としたもの、という実態を社会にひろめ、橋下さんが「ぼったくりバーの請求書」と表現をして国の中央集権的な地方支配について批判しました。ここは大阪府、京都府、滋賀県が協力をして対抗してきました。まさに「地域主権」の意思を活かして、数千億円にものぼるムダな国営の大規模ダム事業を阻止したのです。

しかし、その後、2010年の4月に大阪維新の会が発足し、大阪都構想は、大阪市をつぶして大阪府を都に昇格して、最後は関西の二府四県(大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、滋賀県)をつぶして「関西の司令塔は一人の知事で十分」という「府県をつぶして合併=関西州づくり=グレーター大阪実現」のための一ステップという目的がでてきます。橋下さん流の弁護士的な白黒はっきりさせる意思決定判断からすると、既存の行政の仕組みはあまりに遠回りで我慢がならなかったのだと思います。“いらち”の橋下さんとしては当然の判断と思います。

ただ、そもそも地域政党「大阪維新の会」をつくる時、2010年の春だったと思いますが、橋下さんから嘉田は相談をうけました。2006年の滋賀県知事選挙で生まれた地域政党「対話の会」の結成時の意見を聴きたいということでした。そこで私は「二元代表制の地域自治からして大阪府知事である橋下さんが維新の会の代表になったら、首長が代表の政党では地方議員の自律性が育ちません。議員は首長の顔をみるだけのイエスマンばかりの独裁制になりますよ」とアドバイスしました。

滋賀県の対話の会の代表は市民であったり、県議会議員であったりして、私は決して代表にはならず、顧問など外側からの役割に徹しました。しかし橋下さんは、知事や市長であると同時に地域政党の代表として君臨しました。これが大阪維新の党の躍進の機動力にもなりましたが、最後の住民投票時には、議員さんが地元で受け止めている多様な意見を受け入れず、独裁体制を許す仕組みともなってしまったのではないでしょうか。

その後、2012年12月の衆議院選挙で維新の会が国政でも躍進すると、橋下さんは、「兵庫県の井戸知事や滋賀県の嘉田知事など、道州制に反対する県知事がいる選挙に維新候補者を出馬させて、関西全体を維新の配下におく」と宣言します。また堺市や吹田市、また兵庫県内の伊丹市や宝塚市まで維新候補を立候補させ、グレーター大阪の実現に動き出します。選挙結果としても橋下さんの要望通りにはならず、兵庫県にも滋賀県にも、伊丹市にも宝塚市にも大阪維新の首長は実現しませんでした。

実は橋下さんの、井戸知事や嘉田への反感は、2010年12月に発足した「関西広域連合」の中での、「関西にカジノを誘致しよう」という政策も大きな分岐点でした。

橋下知事は2010年1月にシンガポールのカジノを視察して、その表向きのにぎわいや経済波及効果に感銘をうけ、突然に「不況からの脱出のために大阪にカジノを!」と表明します。まさに外側からは突然でした。そして2010年12月に発足した関西広域連合でも、「関西全体としてカジノを誘致しよう」と呼びかけます。

そこに反対したのが、兵庫県の井戸知事と滋賀県の嘉田です。ふたりとも「カジノの観光や経済効果は認めないわけではないが、ギャンブル依存症など社会的、教育的懸念が大きく関西広域連合としてカジノの誘致はするべきではない」と意見をだします。道州制反対とカジノ反対が井戸知事と嘉田との共通点で、橋下維新の方針には合いませんでした。

特に道州制については、歴史的にみたら1300年前の律令の時代から、「湖の国」淡海として、水の生態圏域のバイオリージョンとして発展してきた近江の国、滋賀県の主体性をつぶして、関西州に合併する意義を私は感じませんでした。

また県民アンケートをとっても滋賀県をつぶして関西州に合併という意見はごく少数でした。もちろん行政のスリム化は必要ですが、県をつぶしての事務経費節約は極めて限定的でした。それ以上に「行政が遠くなる」課題はおおきいです。

形式的に府県をなくす財政節約の効果と、長い歴史をもつ住民の精神的な誇りの拠点でもある地域自治を失うことのマイナスとは、もっともっと理念的かつ具体的に県民議論を深める必要があるでしょう。1200年の歴史をもつ京都よりも近江は古く、また自治の伝統も強いからです。

ということで、大阪維新の党がかかげる大阪都構想は、関西二府四県を一つの関西州に合併する、その拠点としての大阪都、という意味がかくされておりました。

その割には、大阪府知事の松井さんや大阪市長の橋下さんは、関西2000万人の広がりの中にある暮らしや文化の多様性、自然や歴史の背景には全く関心がなかったようです。本当に二府四県をつぶして、大阪州、あるいは関西州として君臨したいならば、関西2000万人が暮らす生活の場に寄り添った、生活実感への共感と何よりも愛情がないと首長の仕事はなりたちません。

東京に対して関西の復権をめざすなら、地理的、歴史的にも関西全体の多様性を認めることから出発すべきでしょう。「中心にいたら周縁はみえません」。

同じく力強い攻撃的な男からは、社会的立場も体力的力も弱い女の苦しみはみえません。橋下さんの人間性への疑問はあの「慰安婦問題への発言」が決定的でした。「戦争で争う男には女の性的癒しが必要」という一方的解釈は多くの女性には受け入れがたいものだったと思います。

皆さんのご意見はいかがでしょうか?

 

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