Facebook 2016年1月23日

ラムサール・ネットワーク日本が主催する「田んぼの生物多様性向上10年プロジェクト」交流会・琵琶湖に参加、基調講演とパネルディスカッションのモデレータを努めました。場所は京都教育文化センターでした。1月23日。まずは全体の記念写真をアップします。(長いです)

野洲市須原の「魚のゆりかご水田」のケースをモデルに、今後も広げていくためにはどうしたらいいのか、研究者や活動家などから多くのヒントをいただきました。

まずはゆりかご米のブランド価値を高め、より高価格で売れるようにして、後継者を確保するためには、今のゆりかご水田米のパッケージをもっとキャラクター化したらどうか、などのマーケット化のアイディアがだされました。

また国際的なラムサールネットワークの社会インフラを活用したり、古代湖としての琵琶湖の国際的価値を前面にだして、琵琶湖米を国際的に売り出すなど、具体的で大胆な提言をいただきました。元気がでるシンポでした。企画いただいた皆さん、ありがとうございます。

「田んぼって米をつくるところでしょう?そこに魚がすむなんておかしいね」と思われる方が多いかもしれません。しかし、日本全国、特に高度経済成長期前の田んぼは、ドジョウやナマズ、タニシなど食べられる、つまりおかずになる魚介類がたくさんすんでいました。田んぼは主食の米だけでなくおかずも供給してくれる場でした。

また食べられないけれど、子どもたちが追いかけて遊びの対象だったトンボやカエル、タガメなどもたくさん水田とその周辺の水路にすんでいました。この当たり前の「生き物のにぎわい」がなくなるのが、水路がコンクリートになり、用水路と排水路が分離されるなど、農業の近代化や農薬使用の増大などの農法の変化があります。

私からは「滋賀県の挑戦ー琵琶湖の生物多様性と農業」として基調講演。戦後の食糧増産や下流の都市化に必要な利水・治水強化のためすすめられた琵琶湖総合開発。人間の都合でそれぞれの時代の開発過程で、琵琶湖の生き物や生態系、あるいは文化的個性については全く考慮がなされておりませんでした。

そういう中で、琵琶湖研究所や琵琶湖博物館時代に昭和30年代の琵琶湖辺の人と生き物の濃密なかかわりを研究してきた経緯、特に梅雨時期には琵琶湖のコイやフナ類が田んぼめがけて産卵にやってきました。これを「うおじま」と言い、子どもも大人も魚をおいかけて「魚つかみ」に興じました。そのうおじまの再生が魚のゆりかご水田です。

昨日は地元須原での現場視察や問題提起、また今日のパネルディスカッションには、滋賀県職員はじめ、多くの方がかかわってくださいました。ご準備いただいた関係者の皆さん、どうもありがとうございました。

本日ご参加の皆さん、参加できなかった皆さんもふくめてこのFB上で議論展開してください。

先頭に戻る