Facebook 2014年11月11日

志村ふくみさんが「京都賞」の授賞式で、「自然との対話で生み出された“紬の思想”を若い人に伝えたい」と高らかに宣言。「ポスト3.11」の日本がめざすべき「自然との共生」の理念を示唆してくださいました(長いです)。

11月10日、「京都賞」の授賞式に参加。京セラの稲盛和夫さんの「人のため世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」と自らの人生観を具現化した「京都賞」。今年で30回目です。

「先端技術部門」「基礎科学部門」「思想・芸術部門」の三部門があり、これまで「先端技術部門」では京大の山中伸弥さんや、「思想・芸術部門」ではデザイナーの三宅一生さんや建築家の安藤忠雄さんなどがおられます。

今年の京都賞「思想・芸術」部門で、受賞したのは人間国宝の染織家・志村ふくみさんです。1924年(大正13年)滋賀県近江八幡市生まれの90歳。私の母は1920年(大正9年)生まれなので、今生きていたら94歳。ほぼ母の世代です。

自分勝手な妄想かもしれませんが、養蚕農家でお蚕さんを育てて絹糸を生み出してきた母の農婦としての暮らしと、その絹の糸を植物の自然で染め上げて芸術の境地にまで育てあげてきた志村さんを重ねあわせてきました。

志村さんの真骨頂は、多様な身のまわりに存在する草木など植物の染料で、お蚕さんが命を懸けて生み出した絹糸を染め上げる豊かな“色”です。深く、鮮やかな“色”を生み出す秘密は、技よりも何よりも、季節を敏感に感じ取る自然へのまなざしにあります。

今日の授賞式での志村さんの言葉は心ふるわせる勇気ある宣言でした。以下、紹介します。

―――――――――――――――
今回の受賞を契機に、今自分は90歳になって一層、「自分の仕事を自覚しなさい」と言われているような思いにかられている。

農家の貧しい女性が織るもの、と言われてきた紬織を、柳宗悦の民芸の思いを受け止めた母親の影響を受けて織物をはじめた。植物染料の素晴らしさを追い求めながら、自然の法則の中で自然の色であるはずの緑の色が出ない?なぜなのか?自分の色を挑戦しても、緑がでない。苦しんだ。

ある時出会ったゲーテの言葉。「色は光のジュピター」という。色は光、色はさまざまな光のジュピターであり、悲しみ、苦しみの中で、植物がこれほどの色を与えてくれる、緑は黄色と青の出会いの中で緑になる。

一方で一匹一匹の蚕の命が、絹糸を生み出してくれる。その蚕のだしてくれた糸を植物で染め上げていく。

今、人間は自然を荒らすことしか考えていない。特に3・11以降、人類はまだ気がついていない。自然のもつ力、意味について、人類はまだ気づいていない。私自身は大変な危機感をもっている。

若い人たちの力を結集して行きたい。多くの若い人たちに伝えたい。日本では万葉集の古代から、源氏物語の時代から、自然との交わりで色を生み出し、暮らしをなりたたせてきた。”色“についてどれほどの豊かな文化があるのか。自然の恵みを若い人につたえたい。それが私の勤めです、と。
―――――――――――――――――――――――――――

高円宮妃久子殿下や、オバマ大統領からのメッセージを携えて参加をしたキャロライン・ケネディ駐日大使など、お歴々が居並ぶ中で、「3.11以降」の日本で、自然の素晴らしさを若い世代に伝えなければ、とその使命感を高らかに宣言なさった志村さんの勇気と決意。

私は心震わされました。それは我が母の言葉にも思いました。母が今生きていたら、お蚕さん1匹1匹、桑の葉1枚1枚、大事にしなさい、と叫んでいるでしょう。

今、福島で木の葉1枚1枚、昆虫1匹1匹が、命の危険にさらされている。人びとが田畑を耕せず、家に住めない。世代がばらばらに、母と父、そして子どもたちがばらばらにされる暮らし。その痛みと苦しみは、足元の自然を放射能で汚した社会体制をつくりだしてきた当事者たちには共感をもって見えていない。

でも、志村さんは高らかに宣言した。木の葉1枚1枚、昆虫1匹1匹の存在の上に私たちの命と暮らしがなりたっていることを!

今日は、志村さんに「藍色」と黄色に染まる伊吹の「カリヤス」から紡いでいただいた「春の湖」の着物を着て参加させてもらいました。

志村ふくみさんにとっても、私にとっても「琵琶湖」は絶対的な存在です。

鄙のお蚕さん育てと芸術の域に高められた紬と、いずれも女の人生の結晶です。

先頭に戻る