Facebook 2015年8月21日

公党・自民党の責任は? 武藤貴也議員の「未公開株取引疑惑」をめぐって、武藤氏を2009年4月に「公募」で候補者として決定し、2009年・2012年・2014年と三度にわたり、滋賀県4区の衆議院議員候補として推薦・応援してきた自民党滋賀県支部の責任は重い。8月21日。(長いです、一部これまでのMSGと重なります)。

武藤議員からはもちろん、県連としての説明責任を有権者は求めています。また犯罪性さえ帯びるかもしれない「未公開株取引疑惑」について、ただちに「議員辞職」を求める声も地元で高まっています。

8月21日の滋賀県内で読まれている新聞6紙の中、三紙(京都・中日・毎日)が、武藤議員問題を「社説」でとりあげました。見出しは「公認した自民の責任は」(毎日)、「まず説明責任を果たせ」(京都)、「デモ批判 幕引き許さぬ」(中日)です。

公党として、武藤氏を公募で選考した滋賀県自民党の責任を問う声もあります。というのも小選挙区制の元、県連が推薦する候補者以外、当該選挙区の該当政党を支持する有権者には他に選択肢がないのが実態だからです。

2009年4月当時の滋賀県自民党県連の候補者選考過程では、最終選考で残ったO氏( 地元出身)と武藤氏が一票差であり、その背景には、「北海道出身のよそ者なので首のすげかえがしやすい」と武藤氏を何としてでも通そうとするある県議達による多数派工作があった、ということを当時のN県議会議員が証言しています。

また今日の新聞社会面では「若いので期待していたが今となっては投票して後悔する」等という有権者の声もあり、また武藤氏とかかわった先輩議員なども「時間とお金にルーズだった」と口ぐちに言っております。

私がなぜ、武藤議員問題に発言するのか?私にも説明責任があるからです。というのも先日も知り合いの知事から「嘉田さん、武藤さん知っているの?武藤さんは嘉田さんの政策ブレインだったと公言しているようだけどどうなってんの?」と質問を受けました。

そこで、少し長くなりますが武藤さんと嘉田との接点について、詳しく説明させていただきます。(一部、これまでのメッセージと重なります)。

政治信条として、武藤貴也氏の今回のシールズに対する発言については強い反感を覚えます。私自身は7月22日に「チームしが」代表として、安保法制案の衆議院での強行採決に抗議をし、参議院での法案の廃案を強く訴えています。また戦争については 「だれも殺さず、殺されず、殺させず」という理念を表明しております。

武藤さんを紹介する「ウイキペデイア」に次のような記述がありました。「2009年4月27日、嘉田由紀子知事を支持する会派の政策スタッフであったが、自民党から立候補することになったことについて、『自民と意見の合わなかったところもあるが、合ったところもある。合わなかったことについては、調整役になって、よりよい政策にすれば嘉田県政のためになる』と発言」。

このあと、武藤氏が自民党と嘉田の調整役を果たしたことは、私の知る限り全くありません。逆に、混乱要因になることがたくさんありました。

まず、武藤貴也氏は政策の柱を自己都合で変える方でした。2009年4月、嘉田政策を実現するために連携していた県議会の「対話の会・しがネット」会派のアルバイト事務員であった武藤さんは、滋賀県議会の自民党の有力議員から自民党国会議員候補に公募しないか声をかけられたようです(同時に武藤氏と強く連携していた対話の会の木沢県議も会派を離れました)。嘉田批判をすすめる自民党としては、自民党と対立する対話の会の組織力をそごうとしたのでは、と言う人もいました。

当時の滋賀県政の最大課題はダム問題でした。嘉田と自民党会派が、県議会が流会になる(2008年12月)ほど対立をしていたのが大戸川ダムや丹生ダムなど、琵琶湖辺のダム問題でした。

その時、武藤貴也氏は県議会の「対話の会・しがネット」会派の事務員として、特に木沢成人県会議員と意気投合して、徹底的なダム反対を主張して論陣を張っておりました。事務局員の役割を超えて、嘉田が山田・橋下・野呂知事と 2008年11月にだしたダム凍結の「四知事合意」声明文で、三重県の川上ダムの凍結を主張していないのは生ぬるいと批判するほどでした。

その人が、2009年4月、自分が自民党の国会議員候補者になれるとなると、一晩にして「ダム 推進」に豹変。私は我が耳を疑うほど驚きました。こんなに簡単に理念や政策を変える人がいるのだと。政策や理念を「自分が国会議員になりたい」という自己都合で変える政治家でした。

また、私が知る限り、武藤さんは、会合の約束の時間も守らず、それでも謝罪もなく、自己中心的な方でした。彼が2012年に一期目の衆議院議員選挙に当選して、定期的に県の幹部を交えて知事と国会議員との意見交換会を行いました。その時にいつも彼は遅刻していました。しかし謝罪はありません。周囲の人間はあきれていました。彼ほどの自己中心的な方はめずらしいです。その彼がシールズの活動を「極端な利己的考え」と非難したことに驚きいっております。

また今回の「未公開株」事件をめぐる彼の言動も、公人の衆議院議員としては極めて無責任です。

私は彼のこれまでの言動から、彼ほど「自己中心的」で、社会人として未成熟な政治家を知りません。そのような彼の人格的資質を見抜けなかった滋賀県自民党県連の2009年4月の候補者選定過程にも大きな疑問をいだくのは私だけではないでしょう。

また当時、滋賀県議会議員自民党系会派議員であった高島市の石田ゆうすけさんも下記のようにブログで表明しております。
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「石田ゆうすけ」ブログ(2015年8月19日より)

彼(武藤氏)の変わり身の早さにも疑惑でした。嘉田知事代表(石田前議員の誤解、対話の会の代表は寺川氏です:嘉田注)の対話の会の政策スタッフの時には「脱ダム」、自民党に入ったらあっさりそれを捨てて「推進」、「平和主義」を信条にしていたのかと思えば「核武装推進」・・ワケがわからない人でした。

私はその時から彼のことを本当は思想信条がなくその時の立ち振る舞いでいかようにも変わり、党人としての立ち位置など実はどうでもいいと考えている(無党貴也)と思っていました。いったい何がしたくて国会議員になったのでしょう、この方は。

そう義憤にかられていると週刊誌が発売された本日、早くも「自民党離党」のニュースを観て絶句でした。党籍がなくなったから責任がとれたと考えているのかどうか、そう考えているのなら大甘ちゃんです。武藤ならぬ無党になったのですから本当の責任の取り方を自分自身に問いかけてもらいたいものです。

自民党執行部の皆さんにお願いです。本当は「離党届」を受理する前に党内で公聴会なり党紀委員会なり調査委員会を設置して速やかに事実関係を世間に明らかにするべきでしょう。彼はもう自民党の人間ではないから関係ありませんでの幕引きなどは公党として誠に情けないですよ。

このブログの表題「馬鹿バカしくも大人げない」のは彼ごときに怒っている私です。
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