Facebook 2014年12月8日

「命にこだわる政治をしよう!」、12月6日・7日、三つの講演行脚でした!

京都市での龍谷大学での講演のあと、かつてから私自身かかわっていた熊本県水俣での講演、熊本市内に移動しての「環境ネットワークくまもと」主催の、前熊本県知事の潮谷義子さんとの対話講演も楽しく、有意義でした。(長いです)。

① 、12月6日午後、京都市深草の龍谷大学大学院大矢野ゼミで、「いま、私たちが必要とする政治とは?~嘉田由紀子、前滋賀県知事からのメッセージ~」として90分の講演と、その後の大学院生との対話講義をさせていただきました。

滋賀県知事に就任した2006年の1年後の2007年7月21日に、大矢野先生の同じゼミで講演をさせていただき、その記録をみせていただきました。

改めて「みっつのもったいない」を訴えてきた、その政策へのこだわりは8年間、一貫して変わらなかったな、と自覚しました。その政策実現がほぼできたので、二期八年で勇退させてもらったことも丁寧に説明させていただきまし。

教室いっぱいの若い学生さんの熱気に圧倒され、「若者も政治に無関心ではない」と実感できました。その晩、九州新幹線で水俣まで移動。

②、12月7日午前、「みなまた地域研究会」が主宰する「琵琶湖から見える環境と原発問題」の後援会で講演。

ここでは、琵琶湖の環境保全を争点として昭和49年に誕生した武村正義滋賀県知事の生みの親である、細谷卓爾さんの紹介からさせていただきました。

細谷さんご夫妻も会場に姿を見せてくださいました。「琵琶湖と水俣のつながり」を証明する歴史的な場面となりました。

細谷さんがなぜ、琵琶湖政策に命をかけたのか。ご自身が昭和33年に滋賀県守山市の当時の日窒関連会社にエリート社員として就職したところから始まり、すでに当時発覚していた水俣病で地元住民の命を軽視する企業活動をしていたこと、あわせて「安賃闘争」という雇用者圧迫をする企業であること、そこから、細谷さんの社会正義的運動がはじまりました。

私自身、1990年代から水俣を訪問し、吉本哲郎さんの「もやい直し」「地元学」にふれさせていただき、「ないものねだりではなくあるもの探し、あるもの活かし」の活動仲間として今でもつながっております。

今から14年前、2000年6月の熊本日日新聞の高峰武さんからの取材記事でも、「一人称で語る」公害問題の重要性を指摘していました。今も全く自分自身の理念が変わっていないこと、自覚しました。

③、12月7日午後は、「環境ネットワークくまもと」主催の、前熊本県知事の潮谷義子さんとの対話講演に参加しました。

2000年4月に、大阪府の太田房江知事に次いで日本で二人目の女性知事として就任。2008年まで二期8年の知事としてのお仕事。「女、よそもの、福祉しかわからない知事に何ができるのか」という批判の中で、川辺川ダム問題、水俣病問題、ハンセン病、そして誰もが参加できる県政をめざしてこられました。

潮谷さんが地元男性中心社会から受けてきた非難と瓜二つの経験をし、「女、よそもの、学者に何ができるのか」という中で、私の方からは、「命にこだわる政治」をいかにすすめてきたのか、詳しく説明しました。

「みっつのもったいない政策」(税金の無駄遣いもったいない、子どもや若者が生まれ育つ力損ったらもったいない、琵琶湖の自然こわしたらもったいない)の実現プロセスは、それまでの「利益・利権誘導型」政治といかに異なるのか、その実現のためにいかなる苦労、そしてやりがいがあったのか、何よりも職員に支えられて、国ではできない地方ならではの新しい機軸を開くことができたこと、潮谷さんとお互いに披露しあいました。

大変忙しい、しかし充実した二日間でした。

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