Facebook 2016年10月20日

琵琶湖畔のミクロな「橋板文化」「カバタ文化」から、突然ですが、滋賀が先導する「アール・ブリュット(生の芸術)」の展示がされている「2020・東京オリパラ・文化オリンピアード」(旧京都会館、今はロームシアター)に参加しました。10月19日。(長いです)

記念写真は、文化庁長官の宮田亮平さん、滋賀県のアール・ブリュット(生の芸術)の作家である古久保憲満さん(東近江市在住)、私が奉職するびわこ成蹊スポーツ大学の経営母体である「大阪成蹊学園理事長」の石井茂さんです。

一般的には知られていませんが、オリンピックはスポーツだけではなく文化の祭典でもあります。オリンピック憲章には、オリンピズムの第1原則として、「オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見いだされる喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である」と明記されています。

オリンピック憲章の表現はいささか抽象的ですが、私自身は、スポーツと文化の共通性を自らの研究プロセスの中で発見してきました。1970年代以降、琵琶湖辺での「水辺の遊び」や「漁師さんの生業活動」、そして「アール・ブリュット作品」に打ち込む皆さんの表情から私なりに読み取れる心の動きをみて納得してきました。これはアフリカのマラウイ湖辺で水汲みをして、魚つかみで必死に生きる子どもたちの表情とも共通するものでありました。

そんな背景の中で、スポーツも文化も、その活動に集中する個人の内面的な満足度の高まりは共通であり、どこかで誰かが研究していないかと、調べてみたら、アメリカの社会心理学者のチクセントミハイが『喜びの現象学』で、「人間心理の内面を充実するフロー体験」として理論化していました。そう、この「フロー体験」こそがポイントではないか、と。

それゆえ、2012年に滋賀県知事として2024年の二巡目滋賀国体を誘致した時には、同時に滋賀県立美術館の再生を企画しました。滋賀県生まれの「1000年の美・仏教文化」と「今生まれる美・アール・ブリュット」を取り込み、これまでの「100年の美・現代芸術」に加えた新しい美術館を構想し、提案しました。「スポーツと文化の10年・滋賀プラン」です。

さて、今日は、2020年の東京オリパラと連動する文化オリンピアードの最初の発信として、京都会館(今はロームシアター)で開催された文化ブログラムに参加してきました。文部科学省義家副大臣、京都府山田知事、京都市門川市長などが主催する会合で、それぞれの組織を代表する挨拶や宣言の中で、ノーベル賞学者の京大の山中伸弥さんの講演が印象的でした。

「日本のノーベル賞受賞学者20名のうち半分の10名が京都大学にかかわっていた。それは京都の持つ自然と文化の深さによると思う。自分が一番好きな風景は哲学の道。研究で疲れた頭を癒してくれたのはこれらの文化的自然だ」と述べておられました。私は内心、「あの哲学の道は明治23年に完成した琵琶湖疏水があるから、琵琶湖からの水があるからだ」とつぶやいておりました(微笑)。

私が今回期待したのは、滋賀県が提案してきた、「アール・ブリュット(生の芸術)」が、「文化オリンピアード」のひとつとして採用されたので、その作品展示でした。ミニ展示場に、大阪成蹊学園の石井茂理事長たちをご案内していたら、宮田文化庁長官と遭遇しました。

実は私自身知事時代に、滋賀県で糸賀一雄さんの思いを受け継ぎ、60年以上の時間をかけてかなり深く・広く、ひろがっていた「アール・ブリュット(生の芸術)」作品を、滋賀県立美術館の再生計画に取り込むべきかどうか迷っていた時に、当時の東京芸術大学の宮田学長を訪問しました。

個人的には、澤田真一さんの、「トゲトゲ作品」に魂をうごかされ、滋賀県文化奨励賞などをださせていただきました。県内各地から各施設から生まれてきた見事な作品がたくさんある。でも、ひとりよがりではいけない。県民の皆さんの税金をいれさせてもらうにはこれらの作品を芸術としてどう評価するのか、その専門分野の方からご意見を伺いたいと思いました。そこで宮田学長のご意見を伺うことにしました。

宮田学長は、単刀直入、「嘉田知事、これらの作品は、魂をゆさぶる力をもっています。芸術と言っていただくこと、私は納得します」と言ってくださいました。まさに宮田学長さんは、今の滋賀県のアール・ブリュット政策の後押しをしてくださった「恩人」でもあります。その方が今文化庁長官として、京都に拠点を置かれることになる責任者になられること、大変ありがたくおもいます。

実は青柳正規前文化庁長官にも、アール・ブリュットネットワークの初代会長をお引き受けいただき、長官室に作品を展示してくだったことも、大きな跳躍のきっかけとなりました。

今日、宮田さんに、「京都の文化を影の見えないところでささえる自然的・歴史的基礎は近江・滋賀県にあります」と言いましたら、「よくわかっています。近いうちにびわ湖ホールや琵琶湖博物館を訪問します」と言ってくださいました。もちろん、滋賀県立近代美術館も。

実は宮田さんは新潟県の佐渡島生まれ。芸術への思い断ちがたく、高校卒業後、東京へ向かう船の中から見た、海に飛びあがるイルカの姿に啓発をうけ、その後「イルカ作家」としての自己の道を極めてこられました。田舎と都会の間にあるギャップ、憧れと侮蔑の裏表。宮田さんも「田舎」とある意味さげすまれてきた日本人の思いを共有しておられるとも思います。

京都にとって、滋賀や近江はずっとずっと「舞台裏」だったのかもしれません。白洲正子さんがまさに表現しておられます。でもその舞台裏にこそ本質がある。その本質の根っこは、人間文明の時間軸を凌駕する、はるか長い自然と大地の力である400万年の歴史「古代湖・琵琶湖」、そして大地を耕し続け、食を、命を育んできた「農の力」「漁の力」「森の力」という3万年を辿る「生活文化の力」であるはずです。

「食物を生産できない都市は部分社会」、「にぎやかな憧れ・はれやかさを生産できない田舎も部分社会」、それぞれに相手を欲する、京都と滋賀はそんな関係ではないか、と改めて思いました。今、まさに原発に代表される近代科学技術文明の終焉が見えるからこそ、人間力=文化力、として、京都と滋賀の補いあう力を自覚していきたいです。

長いながい文章におつきあいいただき感謝します。

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