Facebook 2018年1月9日

熊本学園大学水俣学研究センター主催の「水俣病事件研究交流集会」に参加しました。2日間にわたり20件近くの力のこもった発表の後、外部評価委員として今後の活動展開についてコメントをさせていただきました。胎児性患者の坂本しのぶさんは「水俣病はまだ終わっていない!」と力強く自らの言葉で語って下さいました。1月6・7日。(また長いです:微笑)。

お母さんのお腹の中にいる時に、チッソ水俣工場から排出された有機水銀により脳神経系への被害を受けた患者さんを「胎児性患者」と言います。母親のへその緒は有害物質を透過させない、というそれまでの理解から、胎児性患者は長い間無視されてきました。そこを医師としての誠実な心をもって胎児性患者の存在を発見し、その後の診察・診療、栽判での証言、生活・社会的支援の仕組みづくりなどに一生をささげられたのが原田正純さんです。

熊本学園大学の水俣学研究センターは、原田さんが立ちあげられ、2012年に亡くなられてから後も、花田昌宣さん、中地重晴さん、井上ゆかりさん等の手で守り続けられ、今回の研究会も13回目となっています。

私が最初に原田さんに出会ったのは今から20年近く前の1998年の12月。それまで公害・環境問題と言っても、琵琶湖の環境問題とは切実さも深刻さも異なる中で、水俣訪問を躊躇していました。しかし、戦後急速にすすめられた近代化という国策政策の中で、生き物や人の命への配慮がない政策を進めてきた、という点では共通点があります。近代化が地域社会や人びとの暮らしの精神にもたらした影響の大きさを現場で知りたい、という思いから水俣を訪問するようになりました。

原田さんに最初にお会いした時、「環境破壊のしわ寄せはまず弱者にくるんですよ」と言われました。家の窓から魚が釣れるくらい海のそばで、自然とともに生きていた人たちが真っ先に環境汚染の被害を受ける。「見た目はふつうの魚だった、どこも悪くみえなかった」という魚を毎日毎日食していた人たち。子どもや母親や高齢者などの生理的弱者とともに自然経済に依存する人たちが環境汚染の被害を受けやすかったのです。

専門家としての心構えも伝えて下さいました。ともすれば大学の研究者が自分たちの既成の枠組みや知識を現場に押しつけようとしていた中で、原田さんがそれまであり得ないと教えられていた、母親の胎内で水銀に侵されていた、という事実を発見するのです。それも「現場からこそ学んだからで」ということでした。

胎児性患者として原田正純さんとずっといっしょに歩んでこられた坂本しのぶさん。1972年に原田さんたちとストックホルムの環境会議に参加した時は中学生でした。その坂本さんも今は61歳。

去年9月にジュネーブで開かれた「水俣条約締約国会議」に参加をなされ、その時の活動状況も坂本さん自ら今回の研究集会で発表されました。水銀会議では、国連環境会議の事務局長などに出会い、全体会議で「水俣病は終わっていない!」と力強く訴えておられました。

今回、外部委員として参加をした国立水俣病研究センターの元赤木教授や熊本日日新聞の高峰さんと話をしました。「なぜあんなに長期的に患者がでたのか、患者の数も増えてしまったのか」と。原因究明にかかわった医師や国や県の役人が、水銀中毒であること、いわば「食中毒」であることを宣言をして漁獲制限、食制限をしていたら、ここまで患者は広がらなかったという意見で一致していました。

ここは徹底的に行政の責任が改めて検証され、次の世代に「予防原則」として伝えられるべきです。ただ、残念ながら、今回の研究会でも行政の参加やかかわりはあまり見えませんでした。最後のコメントで私自身は、「被害者の顔が直接見えるようになって、研究者と被害者との協働的な活動はよくみえるが、国、県、市の行政の顔がほとんど見えない。ここをどう突破するかが次の課題ではないでしょうか」とコメントさせてもらいました。

原田先生のお嬢様は環境社会学を専攻なさっておられ、今回も二日間、会場でご一緒でした。写真をとるのを、お互い忘れてしまいました(微笑)。また水俣では、食で壊された体と健康を自分たちの力で取り戻そうと、地元学に根差した「もやい直し」も進められています。水俣から有機のお茶を、というお茶生産農家の松本さんご夫婦のことは次に紹介させていただきます。

 

先頭に戻る