Facebook 2018年2月15日

マラウイ湖からの客人便り(2)、今回はマラウイ湖辺のサリマ地区のムソサ知事の報告をさせていただきます。三日月知事を県庁に訪問した後、比良の嘉田の家と浜経由で、針江を案内しました。2月15日(また長いです:ごめんなさい)。

固有種が1000種類も生息するマラウイ湖では漁業も盛んです。国民のタンパク源の7割が湖の魚といわれるほどです。牧畜が多いアフリカの中ではまさに「湖国」で、「Lake Country」とも言われています。1990年代に、琵琶湖博物館や京都大学が中心となって湖沼生態と生活の比較調査をしようと、私たちがマラウイ湖を選んだのも、この「湖国性」ゆえです。

世界各地と同様、マラウイ湖でも漁業の資源管理に悩んできました。目の前に魚がいると小さくてもとりたい。他人に採られる前にとりたい、という漁師心理が働く中で、地域として、産卵期の数ケ月を「禁漁期」に指定し、それを実際に守り、資源枯渇を防いできたのが、ムソサ知事が管理をする「ムベンジ島」です。

1990年代後半にこの話を聞いて、実際にムベンジ島まで私自身調査に伺いました。漁業者による自律的な資源管理のテーマを研究していたからです。ムソサ知事がそこで説明してくれたポイントはみっつ。ひとつは地元住民自身の中に二組のパトロールグループをつくり、一組は島に、一組は浜辺に常駐させ、お互いのルールの徹底をはかっていました。二つ目は「解禁日」に湖水の神と島を守る地霊を呼びだして、いわば「聖なる儀式」を行い、ルールの心理的・精神的後ろ盾としていることです。そして三つ目は、禁漁期には漁業活動をすべて禁止して、代わりに陸上部での農業の生業活動を確保していることです。

このことを2001年の第9回世界湖沼会議で発表をしてもらいました。1984年に滋賀県から始まった湖沼会議、この時は「里帰り会議」として、全県あげてのイベントになりました。その時の記録も私の本棚から出てきました。ムソサ知事が、当時の国松知事や琵琶湖博物館の川那部館長と写した記念写真もあります。

2月13日は、「国連の持続可能な開発目標(SDGs)」を全国の自治体の中でも率先して進めている三日月知事を訪問しました。知事室で30分あまり、ムソサさん自身がマラウイ湖の魚の豊富さや、資源管理のルールについて話をしてくれました。三日月知事も、湖沼会議で世界各地の湖事情をよくご存じで、自主的な資源管理について関心を示してくれました。ジョン君の活動にも感心していました。

その後、歴代知事の写真や、県議会の議場、またチームしがの県議会議員の控え室などの案内をして、県政の仕組みを説明しました。マラウィでは地方の政治は伝統的なチーフが主体で行っておりムソサさん自身も選挙で選ばれたわけではなく、日本の仕組みを不思議に思ったようです。

その後、琵琶湖大橋を渡り、西廻りで高島市まで移動。途中、比良浜の我が家に立ち寄ってもらい、私がリュックで背負って持って帰った「チーフの椅子」にまさに座ってもらいました。またジョンたちが推奨しているマラウイでの「ゴミ工芸品」(2005年に私自身が持ち帰ったもの)を庭に広げてみてもらい、そしてわが自慢の橋板の浜で美しい湖水を飲んでいただきました。ふたりとも、私がマラウイ湖辺のような自然に近い暮らしをしていることに驚き、そして喜んでくれました。

その後、高島市の湧水が家の中で湧いている「カバタの村」針江を訪問しました。2003年にジョン君はここ田中三五郎さんの家で、エコトイレの勉強をしました。懐かしそうでした。同じ場所で記念写真を写しました。最後は、石津文雄さんがご自身でつかんだビワマス料理。塩釜(焼き物)、燻製、寿司、そしてナマスなど、琵琶湖づくしの料理を楽しんでいただきました。

二日間の琵琶湖案内。いっしょにまわっていた小坂育子さん「またマラウイに行きたい、行こう!」と私以上に、マラウイ熱がまた蘇ってしまったようです。

今頃、ふたりとも無事マラウィまで帰りついているでしょうか。メイルが来るのを待ちましょう。昔とちがってメイルでの連絡がつくのがありがたいです。

 

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