Facebook 2017年12月18日

熊本県の阿蘇山の南に「山都町」という町があります。「地域づくりには男のがんばり、女のふんばり」というテーマで私の後援会長の小坂育子さんとふたりで講演に行ってきました。地方での人口減少が続くなかで「女性を大切にする、女性が活躍できる地域は子どもも生まれ育ちやすく未来が明るい」という趣旨の話を世界各国の比較事例や日本の政治への女性参画の歴史などから語らせてもらいました。「女性の政治参画が遅れた社会は子どもも生まれにくく、税収も増えず、財政も逼迫して貧乏国家になります。日本がその例です」と。12月17日。(また長いです:微笑)

山また山の地勢の中、まさに阿蘇山中の中心の町。中世の時代から、九州の西の海、有明海と東の海、周防灘をつなぐ「日向往還」の山中中心部、それゆえ山中なのに「浜町」という名前。柔道の山下泰裕さんの出身地でもあります。今回の講演は、この3月末に熊本県の水の調査に伺った時に知り合った下田美鈴さんという有機農業のまさに騎手ともいえる元気な女性リーダーと、町議の吉川美加さん達からお誘いを受けたものです。横田町長、工藤議長も参加下さいました

ここ山都町は10月の町議会議員選挙で14名の町議のうち3名が女性、女性比率は20%をこえています。全国データでは町村議会で女性がゼロの議会は988議会のうち45%。女性比率が20%をこえる町村議会は3%しかありません。それも都市近郊部が多い。完全に男性社会です。そのような中で、熊本県内の町村議会でもはじめての、女性議員20%越え。ちなみに都道府県議会の女性比率は京都府が一位、東京都が二位、滋賀県は三位で18%です。滋賀県は山都町議会議員に抜かれてしまいました(!)。

実はここ半年ですが、山都町の歴史や町づくりなどをみせていただき、その強さの仕組みが見えてきました。まず江戸時代からの流通の拠点にプラスして、水のない大地に巨大な石橋をつくり、用水路をくまなく山中にひいたその米の生産力。今から163年前の江戸末期に水の便が悪く、水田どころか日常生活の水も欠いていた台地に「肥後の石工」の力で日本最大級のアーチ型水路「通潤橋」をつくり、周辺の水田開発を進めました。今回の女性の会のリーダーの下田さんの水田もこの通潤橋の水で潤っている見事な棚田集落です。

元々山間部は平野部に比べて、自給自足の生活基盤の中では相対的に豊かです。家の素材の木材あり、燃料の源の樹木があり、肥料の元になる下草あり、山菜などのおかずの素材あり、時には野生の獣もいる。そして、水を使う技術がある。自然資本という意味では、基礎生産力が高く、平野部よりも豊かでした。滋賀県内でもそうです。

それが明治時代以降、鉄道網ができ、戦後は自動車革命がはいり、平野部を物質が移動し、対外的な流通の発達のなかで生産力を高めてきました。ただ、これからの情報革命の時代には、ネット情報は平野部も山間部も変わらず流れます。自然資本豊かな情報社会は、大きな潜在力があります。その基礎力は若者の力、特に女性の力と思います。

日本社会の女性の政治参画の低さについては、各種のグラフで示しました。この背景には国政、特に自民党政権が子産み子育て、家族政策を1960年代からつい最近までほとんど手をつけなかった不作為によります。熊本県はその中でも、女性の有業率が高く出生率も高い、という結果をだしています。滋賀県も実は熊本ほどの有業率はないのですが、出生率は高く、私自身「子育て三方よし」という家族・子どもを大切にする政策をすすめてきました。今少しずつ政策効果がでる、ということもお伝えしました。

長くなるのでこの辺で止めますが、今回、熊本訪問の機に、今、「子どもさんを議会に連れて行った」と話題になっている熊本女性市議の緒方ゆうかさんにも短時間ですがお会いしてきました。なんと、緒方さんは、うちの長男の妻と熊本高校で同級生でした!その話は次の話題に!

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