Facebook 2022年8月22日 故羽田雄一郎元参議院議員のお別れの会

長野県上田市での故羽田雄一郎元参議院議員のお別れの会に参加させていただきました。2019年に参議院議員として活動をはじめてから、会館が同じ8階だったので、廊下などで出会うと「滋賀県の状況はいかが?」といつも関心を寄せていただきました。2020年12月24日に、コロナ感染をうたがわれて検査に行こうとしたその場で倒れ27日に亡くなられました。まだ53歳という若さです。驚きと驚愕が走りました。8月22日。
実はちょうどその10日前、12月17日に雄一郎さんが参議院の私の部屋に来られて、「あなたも無所属のままで、立憲、国民とどちらかを選べずに困っていると思うけど、もうすぐ大きなかたまりづくりをするから少し待っていて」と言いに来てくださいました。
私はその時に、「滋賀県は連合の発祥の地であるし、1974年の武村県政は社共民公という4野党4労働組合が共闘して初めて非自民の知事が誕生し、民主王国に成長しました。政治の健全性確保のためにも、与党に対抗できるように、何としても大きな野党のかたまりをつくっていただけたら」と話をしたことを記憶しています。当時立憲民主党の幹事長でした。その直後の急逝。何とも言葉がありません。一本の白いカーネーションをささげ、ご冥福をお祈りさせていただきました。
本日のお別れ会は、長野県地元の篠原孝さんの開会の辞につづいて、阿部守一長野県知事、泉健太立憲民主党代表などの、お別れの言葉はそれぞれに実感がこもっていました。篠原孝衆議院議員は「野党代表になってほしい人物だった」と挨拶。阿部知事は、2019年の台風被害の復興予算を含む補正予算を、立憲民主党としては反対するところを、党議拘束を破って、長野県のためだからと賛成をしてくれた、それほど地元愛にあふれた方だったと挨拶をされていました。私もその時、羽田雄一郎さんが討議拘束よりも地元愛を優先した、という決断には感動していました。羽田さんらしい判断です。
奥様は気丈に挨拶をされていましたが、子どもさんは幼いお嬢さんと子息さまおふたり。羽田さんのあの人なつこさはどこにあるのだろうと思っていたのですが、もともと子どもが好きで保育士資格をとるために大学を選んだということです。父親の羽田孜さんは総理大臣もなさった政治家一家ですが、子どもの世界に党派性はありません。羽田さんがめざしていた、「大きなかたまり」をつくれるよう、ご遺志をつぐ必要性を強く感じました。
滋賀県からの参加者はほかにいないだろうと思っていましたが、北びわこリゾートの田中健之会長にばったり出会いました。田中さんは、羽田孜さんの時代から、家族ぐるみのお付き合いをなさってきたようで、今日も「指名献花」で紹介をされていました。田中さんのお付き合いのひろさに改めて驚きました。
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