Facebook 2022年5月5日 「川棚川流域治水ものがたり(その2) 川棚川の水害被害実態調査にむけて」

「川棚川流域治水ものがたり(その2) 川棚川の水害被害実態調査にむけて」
5月5日(また長いです、2300文字、すみません)
川棚川では昨年8月11日-14日まで、100年確率といわれるほどの豪雨がありましたが、最下流の川棚川では堤防が溢れる事はなく3メートル以上の余裕がありました。一方上流の波佐見川では、7.9キロ右岸で、あと2センチで堤防天端までと水が迫った。図にあるように、川棚川水系の洪水被害実績では平成2年(1900年)の7月2日の梅雨前線が時間雨量74.3ミリ、24時間348,2ミリとなり、床上浸水97戸、床下浸水287戸の被害が出た。波佐見麻痺でも床上浸水65戸、床下浸水225戸の被害がでた。しかし人的被害は記録されていない。
平成14年に発行された『川棚町郷土誌』は、全体が760頁を超えているが、昭和・平成の風水害の記述は水害・干ばつ・雪害ふくめてたった5ページの記述しかない。石木ダム建設関係の資料にも川棚川の洪水のこわさが繰り返し指摘されている割に、川棚町の皆さんの水害への意識はあまり高くないのでは、と推測されます。果たして川棚川ではどのような被害を受けたのか、そして今どう備えているのか、どれほど川棚川の水位をダムで下げるという事業が川棚町民の「悲願」であるのか、これから地元の皆さんを中心に調べてもらうための下調べです。
まず平成2年7月2日の上組地域が数軒の家の周囲の水田がすべて水につかっている写真を同じアングルで写してみました。対岸の山の上からですが、すでに樹木が茂っていて同じアングルは写せませんでしたが、水田がすべて住宅地に変わっています。平成2年以降の都市開発にあたって土盛りはしているようですが、建築規制は町も県もかけていなかったようです。下におりて、当時の水の出方について話をきくと、上組の下に野口川が流れ込み、この川から来た上流の水が氾濫したということです。支流からの氾濫でいわば「内水氾濫」です。ただ、この時の本流からのバックウオータの強さはデータなくわかりません。
また町中心部の宿地区の江川橋の料亭恵美須屋の対岸から、同じ場所を写す事ができました。道路標示のポールも同じ場所にたっています。恵美須屋のご主人に、平成2年の被害について伺いましたが、地盤が高かったので、建物に水がはいることはなかったという。江川橋左岸の城山の森がみえる場所も写真がとれましたが、平成2年と比べると川幅が広がっています。また最下流の鉄道橋も橋げたギリギリまで川棚川が膨れていました。今、橋の形態は変わっていますが、同じアングルで確認ができました。
平成2年7月2日の洪水については石木川中流に暮らす川原(こうばる)の岩下和雄さん(74歳)が重要な証言をしていました。7月2日、川棚町で飲み会があり、夜中の2時頃にタクシーで川原に帰った。その時はたいした雨ではなかったが、午前4時―5時頃にすごい雨がふって、石木橋のところのお年寄りをおぶって上に避難させたという。また午前7時頃にも次のピークが来たが、石木は急流なので、川棚川の本流に波佐見の上から水が流れてくる前に川棚川経由で大村湾に流れたのではという。
川棚町の上組が溢れたという写真は午前10時頃で、その時間には石木の大水はすでに大村湾に流れていっているはずだ。つまり最下流部の急流支川である石木川にダムをつくっても、川棚川本流のピーク水位を下げることに貢献できるのか、少なくとも平成2年7月2日の洪水パターンでは石木ダムは効果がないだろうと岩下さんは言っていました。支流と本流の水の流れには時間差があり、単にピーク水位だけを問題にすることがダムの効果を正しく予測できるのかという岩下さんの疑問です。2020年7月4日の球磨川水害でも、本流の水位が上がる前に、支流の氾濫で多くの人が溺死していました。河川工学の専門家のご意見を是非聞きたいです。
さて、今回波佐見の田崎さんが、平成2年の水害被害写真をたくさん持ってきてくださり、それぞれの現場の今昔確認もできました。平成2年に設立された「波佐見・緑と水を考える会」の20周年記念に「はさみ・水害フォーラム」を開催しており、その時に住民の皆さんから水害写真を集めた、という。またそのシンポは当時九大の島谷幸宏さんが基調講演をしておられます。田崎さんは島谷さんの教え子ということでした!つながっています。
洪水今昔は二か所で確認できました。ひとつは波佐見川下流部の桜堤公園横の「西前寺橋」です。溢れていないが川幅いっぱいに水が迫っています。5月3日の川はおとなしく美しい。井堰があり真ん中に魚道があります。この桜堤もかつては「五里の竹林」の一部だったようですが、今は洪水被害を削減する竹林より桜堤のほうが町民のニーズは高いのでしょうか。この橋の下流にはかつては野越あるいは霞堤のようなものもあったという。
もう一ケ所は、山の中の棚田で有名な鬼木川を訪問。谷川が集落中心部で合流して、そこが溢れている様子です。今の現場をみると、家は嵩上げされ、河川は彫り掘りこまれ、桜も新たに植えられています。そこで写真をみてあれこれ探していた時、声をかけてくださったのは「この写真、私が提供しました!」と通りがかった前川芳徳さん、波佐見町の副町長さんでした。田崎さんもお知り合いで、いろいろ盛り上がりました!平成2年の豪雨については幸い人的被害がなかったことなど、話を聞きました。また鬼木の棚田保全のまさに先導者のようです。今後いろいろ交流させていただけたらうれしいです。
さて今後ですが、水害被害の記憶をたどりながら、記録にして、今後の被害軽減に役立たせる川棚川流域での水害被害調査。これから夏にかけて、地元の皆さんがすすめてくださいます。期待しています。
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