Facebook 2020年7月25日 夕方 球磨川水害被害地から(その5)

球磨川水害被害地から(その5)。7月25日夕方、つる詳子さんたちのご案内で坂本村を訪問。昨年8月19日に荒瀬ダム撤去への思いと、球磨川で遊び育った時代の思い出を熱く語ってくださった本田進さんに出会えました(写真1)。うれしかったです。濁流の中、7月4日早朝の脱出劇、伺いました。「九死に一生をえた」という本田進さん。86歳とは思えないお元気さ。今日でまる一ケ月、まだまだ暑い中での復旧大変ですが、球磨川報告はこれで一旦終わりとさせていただきます。長い報告におつきあいいただいた皆さまに感謝です。8月4日(1200文字)。
本田さんが7月4日の真夜中、平屋の木造家屋(写真2)で目覚めた時、すでに家の中は水につかり入口もあかない状態だった。玄関先に泳いで行って、外へ出る方法を探していたら、空き缶が流れてきたという。その空き缶を使って、玄関の欄間のガラス窓をやぶった(写真3)。丁寧にカケラをとって、細い欄間から体を出す。その時に手と足にけがをしたが、その時は必死で気付かなかったという。外にでても水があふれている。
そこで隣の、自分が経営する「ディリーショップ本田」の建物の屋根上まで泳いだ。もともとが球磨川育たちの「カッパだからいくらでも泳げた」。でもジーンズのズボンは水にぬれると泳ぎにくく、重くて大変だったと。ようやく屋根の上に泳ぎ着いて「急死に一生を得た」。ただ、手足をガラスで切ってしまったので、救出されてから数日、病院でケガをなおしてから、自宅と店の泥だしや復旧にあたっている。86歳とは思えない、若々しいお顔で一安心です。
ただ、自分のように体がうごかない高齢者がこの集落には何人もおられて、果たして洪水から逃げることができたか、心配だったがやはり4人の高齢者が溺死してしまった。泥まみれとなってしまったディリーショップの泥だしには、つるさんたちが昨年からはじめたトレイルランの母体として結成していた「チームドラゴン」の仲間たちが急遽、ボランティアとして入り手伝ってくれている。ただ、本田さんの心配は、ここで住む人たちがどんどん減ってしまって、果たして店を続けることができるかどうか、不安だと言います(写真4)。球磨川流域全体の大きな問題です。
しかし、坂本の少し上の葉木で温泉旅館「鶴の湯」を経営する土山大典さん(写真5、6) や、道の駅坂本・さかもと館の館長、道野真人さん(写真7)たちも、再開にむけて動き出しています。荒瀬ダム撤去でよみがえりつつある清流の魅力を、この大洪水を受けたからこそ、一層力づよく発信してくれそうです。
「がんばろう坂本」の看板ができました(写真8)。それには、全国から、それぞれの思いを寄せて応援をしていきましょう。ご多忙のところ、ご案内いただいたつる詳子さん、中島康さん、緒方俊郎さんたちに深く感謝します。
+4件
先頭に戻る