時間を忘れてお茶について、琵琶湖について、また政治について語りつくしました。

防災の日、雨の合間に、湖東鈴鹿山系・永源寺・政所のお茶が、湖西比良浜の橋板で、琵琶湖の「ウテタ水」に出会い、まろやかなお茶を醸し出してくれました。ふだん使いのお盆は、やはり永源寺の木地師さんがつくってくれた丸盆、お茶碗と急須はもちろん信楽焼。滋賀のええもんが出会い、山形蓮さんと沢田沙織さんのアラサー女子に老婆が加わり、湖岸茶縁の会。時間を忘れてお茶について、琵琶湖について、また政治について語りつくしました。9月1日。中くらいに長いです(微笑)。

蓮ちゃんのお茶の入れ方はさすが本職。琵琶湖の水を沸騰させ、それをお茶碗についで、とっても長いこと待ちます。「じっくり待つことが政所茶をおいしくいれるコツ」と。最近は早出しの深むし茶が多いけれど、と言いながら、昔ながらに「じっくり」と待ちました。「じっくり」には信楽焼の急須とお茶碗、そしてのびやかな琵琶湖の風景がぴったりです。

その間に、琵琶湖の水はお茶に最適、と高島市の知り合いの語りを紹介。大事なお客さんを迎える時は、わざわざ舟をだしてやかんに湖水を汲んで来た、琵琶湖の水は「ウテタ水」、井戸水などは「アライ水」といい、お茶にはウテタ水がおいしかったと。そもそも太閤秀吉が宇治で茶会を催した時の水は、宇治橋から汲んだ、その水は琵琶湖最下流の瀬田川から宇治川に流れ出した水です。当時からウテタ水だったでしょうね。

「宇治は茶どころ、茶は政所」と茶摘み唄にも歌われるほどの銘茶を生み出してきた政所。山形蓮ちゃんは、その地域の魅力にとりつかれ、滋賀県立大学を卒業後、「地域おこし協力隊」として、政所に住みついて、地域のおばぁちゃんたちが代々つないできたお茶の育て方を学ぶ。在来種で無農薬・化学肥料なしで、落ち葉やススキ、大豆かすなどの有機肥料で育ててきた政所茶。しかも「琵琶湖の源流に住む自分たちが川下に薬のはいった水を流すわけにはいかない」という思いからのお茶づくり。

協力隊員を卒業してからも、「政所茶生産新興会」づくりを促し、「政所茶縁の会」をつくり、各地から、グループをよびながら、茶摘み体験会等を企画。これまで何度も蓮ちゃんのお茶をいただいてきました。今日は、いっしょに来てくださった沢田さん、滋賀県職員で、2009年入省、私の知事時代で、いっしょにお昼ごはんなどで交流もしてきました。沢田さんからは、新入職員が現場を訪問する「地元学研修」が今も印象に残っている、と言っていただきました。

まさにお茶が結ぶ縁、山形蓮さんと沢田沙織さんが、「えっつ、琵琶湖の水、そのまま飲めるの?」と驚き、ヒシャクの水をこわごわと・・・・・・。「まろやか!」の声。ふたりとも志賀町の地元育ちで、幼稚園・小学校・中学校と志賀町育ち、琵琶湖で泳いでも「水を飲んではいけない!」と止められてきたようで、今日の琵琶湖水との出会い、なぜ今、この比良浜の琵琶湖水は飲めるのか、そんな談義にもなりました。山形さん、沢田さんから直接に意見を聴いてください!

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