「流域治水条例制定」についてのお話をさせていただきます。

7点の写真ご覧ください。ちょうど59年前(昭和34年;1959年)の今日、9月26日に中部地域を襲った伊勢湾台風の被害写真3点とそれぞれに同じ場所の現在写真です。今日は伊勢湾台風から、知事時代の「流域治水条例制定」についてのお話をさせていただきます。7点目の写真は野洲養護学校です。9月26日。できるだけ短くと思いながらやはり長くなってしまいました(スミマセン)。

最初の2枚は野洲市小南地区、次の2枚は近江八幡市水茎地区、そして5,6枚目は野洲市篠原駅近くの高木地区の伊勢湾台風での浸水被害と現在のほぼ同じ場所です。いずれも日野川に接する地区で日野川決壊の影響を受けました。上流の鈴鹿山脈には二日間で500ミリを超える豪雨がふりました。

伊勢湾台風は、阪神淡路大震災が起きるまで、自然災害の犠牲者の数は最多で、死者・行方不明者5098人にものぼりました。特に伊勢湾に押し寄せた高潮で、湾岸の巨大な貯木場の材木が家いえを破壊し、大きな被害を出しました。 犠牲者を3,000人以上出した水害として、室戸台風、枕崎台風とあわせて昭和の三大台風に挙げられました。災害対策の基本方針である「災害対策基本法」は伊勢湾台風を教訓として成立したものです。

滋賀県内でも死者16名、全壊357戸、半壊1309戸、床上浸水5920戸の被害を受けました。今回紹介する日野川沿いの小南地区は、日野川左岸にあり、さらに左側を流れる家棟川とに挟まれた、いわば袋小路のような集落で、数年に一度は水につく村でした。当時青年団員だったYさんは、堤防が洗われるのを防ぐために竹を切ってヒモで堤防上を流す作業(いわゆる木流し)をし、水で流されそうになると皆で引っ張って堤防を守ったと言います。土嚢をつむ団員もいたが、水の威力は強くて杭で土嚢を抑えても流されてしまい、断層のようなヒビ割れができてしまい、あわてて皆で逃げ帰ったという。

それでも台風の翌日27日の早朝には集落の琵琶湖側下流で日野川が決壊し、水が逆流してきて、写真1のように村中が屋根近くまで水について、田舟で消防団員が救助にまわった。当時結婚直後だったNさんは、お嫁さんの嫁入りダンスが水についてしまい「えらいところに嫁に来た!」とお嫁さんはぼうぜんとなっていたという。二枚目の写真は一枚目の同じ場所ですが、水つきは想像できない日常です。小南地区では、お寺と神社が高いところにあり、そこが避難所になった。また家の周囲を竹林で囲み、洪水で流れてくるものをフィルターのようにこして、家を守る工夫もしていました。青年団員の避難をうながす活動などもあり、伊勢湾台風での死傷者はでておりません。

三枚目の写真は日野川の対岸の水茎地区ですが、日野川の氾濫でここは屋根まで水についてしまいました。もともとが内湖で干拓地であり土地が低かったからですが、幸い水茎地区も住民は高い家に避難をして死傷者はひとりも出ませんでした。その同じ現在の日常風景が4枚目の写真です。また5枚目は小南から篠原駅方面にいったところの高木地区で、伊勢湾台風で東海道線の線路まで水につきました。写真6はその周辺の住宅街、昭和50年代以降新興住宅がひろがっていますがかさ上げもされておらず大変怖い場所です。

実は私が平成18年(2006年)7月に滋賀県知事に就任した時、この高木地区に、野洲養護学校の計画が進み建設にとりかかる直前でした。2006年9月でした。教育委員会の担当者が知事説明に来た時に建設予定地をみてびっくりしました。伊勢湾台風で水についたその水田が建設予定地でした。水害被害史をずっと研究してきた私の脳裏に、この水つきの写真が思いおこされました。担当者はここが水つきの場であることを知りませんでした。無理ありません。教育委員会としては水害被害や治水政策は「担当外」です。

すぐに河川の担当者と教育委員会担当者を一緒に呼んで、建設予定地の現場調査をしました。もちろん知事として立ち会いました。教育委員会からは「利用者からの強い要望もあり、できるだけ早く学校は開校しないといけないので他の土地に移すことは考えていない。建設予定が遅れると困る」と問題がだされました。「水害リスクから命を守ることを公約としている知事としてこのままでは許可できない」と強固に主張をして、想定される最悪の水害でも浸水しない高さまで土地のかさ上げをすること、また河川担当者には横の堤防強化をして、堤防破壊が起きないような対策をとることを指示しました。もちろん、かさ上げのための追加予算は知事として認めました。

結果的には、2013年9月15・16日に台風18号が滋賀県を襲った時(日本で初めての特別警報がでた時です。特別警報は伊勢湾台風並の被害を想定していました。県としては200年確率の雨と考えていました)、私はびくびくして、野洲養護学校の状況について担当から報告をうけました。「周囲の水田は水がつきましたが、養護学校は、かさ上げのおかげで校庭も校舎も全く浸水していません」という報告。もちろん自分でも現場を確かめました。このような背景もあり、地先の安全度マップをつくり、日本ではじめて「流域治水条例」を2014年に制定する覚悟ができました。

7点目の写真はネットから得た野洲養護学校の写真です。かさ上げがわかる写真、また今後自分でうつしてきます。まずは遠景写真を。そして8枚目は、伊勢湾台風の降水量マップです。長い話におつきあいいただきありがとうございます!

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