「旭日大綬章」

滋賀県で4人目の「旭日大綬章」という栄誉を受けられた川端達夫さん。本日500名近い人たちがお祝いにかけつけました。川端さんのご挨拶には「31年間応援してくださった県民の皆さんすべてへの叙勲です」という感謝がこめられていました。政治的立場をこえて多様な方たちが集う和やかな会でした。主催し・準備された皆さま、ありがとうございました。10月27日。また長いです(1500文字)。

記念品としていただいたのは写真立て。それも、国会議事堂をバックにアカンサスの文様が埋め込まれた「布引焼」(東近江市)のオリジナル作品。窯元の甥子さまの小嶋一浩さんの作品。比良浜の自宅にかえって、さっそくテラスのテーブルに飾り、川端さんが生まれ育った八幡山の「鶴翼山(かくよくさん)」の山なみを背景に写真を一枚。琵琶湖ブルーのおしゃれな記念品です。

川端さんの政治家人生は、私が語る以上に多くの方が今日も紹介下さっていました。41歳の若さで民社党公認の衆議院議員として当選して以来、「働くものが報われる」社会をめざしての生活者目線の政治活動に邁進して10期、31年。私自身は滋賀県職員時代から遠いところからではありますが、研究者ならではの冷静でち密な政策の組み立てに敬意を表してきました。ちょうど一年前、川端さんのご勇退の後、ご意思を受け継ぐことができず、私自身の力不足を申し訳なく思っております。

2006年に知事に就任してからは、民主党さんからダム政策や子育て政策などで強力に政策支援もしていただきました。特に2009年~2012年の民主党政権の時代には、文部科学大臣としての「高校授業料実質無償化制度」や「35人学級(少人数学級)の実現」、また総務大臣時代には、地方が使いやすい「一括交付金制度」や「消費税の地方配分の比率拡大」、地方に権限を委譲する「地域主権改革」にエネルギーを注いで下さいました。地方自治を担う者として大きな力をいただきました。

2014年、川端さんが衆議院副議長に就任なさってからの最大のお仕事は、「天皇退位等に関する皇室典範特別法」の制定に、国会として方向を示し、法律案をまとめられたことと思います。2016年の8月8日「天皇の高齢化に伴う対処の仕方」を天皇自ら表明されました。政府は有識者会議で方向を決めようとしていました。その時、川端さんは憲法第1条にある「(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、それなら内閣でなく国会が役割を果たすべきと主張されその方向に力を注がれました。

一国民としてこの議論をみていた私は、ともすれば国会軽視の内閣から、本来の国会の役割を果たす覚悟を議長・副議長が主導してくれたことを大変頼もしく思いました。「三権分立」の原点です。また女性皇族については、「法施行後、速やかな検討」を埋め込んだ付帯決議がつきました。ただしこの付帯決議については特に与党の反対が強いらしく議論は進んでいません。今後、女性皇族を結婚などでどんどん失っていくのは目に見えているのに、どうするんでしょうか。「女性蔑視感」がぬぐいきれない与党ではここを前にすすめられないのでしょうか。

川端さんの東レ時代の研究者としてのテーマに「炭素繊維の開発」「水処理技術」がありますが、素材産業として世界を先導する東レとしての、今この時代の売り物のこのふたつの技術開発に30年前から取り組んでいたのです。川端さんが労働組合にはいっていなければ、東レの社長になっておられてのではないか、という方もおられました(微笑)。

なお、今日、私が招待されたのは「チームしが代表」としてでした。「チームしが」は、まさに2014年の5月、三日月知事誕生にむけて、「力をひとつに!」を合言葉にはじまった滋賀県独自の地域政策グループです。「チームしが」として今回お誘いいただいたこと、ありがたく思います。リベラル勢力が分断されている今こそまさに、滋賀県の草の根自治の根を広げる「力をひとつに!」が求められています。

また長い文章におつきあいいただきありがとうございました!

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