<小坂育子さんお別れ会発起人代表>嘉田由紀子

人生の盟友、戦友、そして母のような存在だった小坂育子さんが2月21日、梅の花の香とともに永眠いたしました。71歳でした。昨年10月8日に突然のガン宣告を受けて、医師による必死の治療の甲斐なく、ご家族の献身的な看病の甲斐なく、永眠いたしました。この間、ご本人の強い意思により、皆さまにお知らせすることなく治療を続けてきました。お知らせできなかったこと、改めておわびもうしあげます。

葬儀は、ご本人の強い意思により、ご家族にて密葬をなさいました。私もご家族といっしょに送らせていただきました。安らかでふくよかなお顔で旅立ちました・・・・。浄土宗の戒名、「藍水育芳信女」をいただきました。ご本人が「嘉田さんにお別れ会をしてほしい」という言葉を残しました。有志が発起人となり、下記のような「お別れの会」をとりおこないますのでご案内申し上げます。<小坂育子さんお別れ会発起人代表>嘉田由紀子 2019年3月5日 (長いです、すみません)。

<小坂育子さん お別れの会>    ―――――――――――
日時:2019年(平成31年)3月23日(土) 午後2時~3時30分
場所:夕陽山 本福寺 大津市本堅田1-22-30
電話 077-572-0044
*故人の遺志により、ご香典、ご供花、ご供物等は、弔電を含め固くご辞退を申し上げます。 *平服でお越し下さいませ。*なお本福寺へはJR湖西線「堅田駅」より「堅田町内循環バス」にお乗りいただき「浮御堂」前で降りて下さい。駐車場は当日ご案内させていただきます。
<お問い合わせ先> 中西純子(電話:080-8305-5707)

2018年10月8日の入院直後、彼女は下のような手紙を私あてに送ってくれました。(ご遺族のご了解をいただき、彼女の心を皆さんにお伝えさせていただきます。)

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思えば10月8日、これまで一度も病院へ行ったことがない私が自分の体の不調に耐えられず診察を受けるということになりました。本当は、その時は”もう二度と家に帰れないかも・・・・・”という相当の覚悟をして出かけました。ずいぶん色々なことを経験させてもらい、人の二倍、三倍もの人生を生きられたという満足感があったので、後悔すらない割り切りがありました。

自分も少しは想像していたのですが、もし悪ければ余命は少ないだろうと。実際、このまま放っておくと3ケ月ぐらいかも知れないと云われた時は、正直納得しました。神経内分泌性ガンが全ての体をむしばんでいるという結果と、出来る限りの抗がん治療で対処していきたいという医師の言葉に、今は率直に聞いて、ともかく任せようと思いました。

色々な副作用が著しく出て来るという話でしたが、今は特に自覚する症状もありません。ただ、自分では今までと変わりはないと思いつつ、人の体を生きているという感覚が病人にされていく様で、その異和感がもどかしいです・・・・。比良浜は静かでしょうね。


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「人の体を生きているという感覚」「その異和感がもどかしい」、自分の感覚にいつも敏感だった小坂さんらしい表現です。このあと3週間ワンクールの治療をつづけ、時折自宅に帰ることもてきましたが、2018年の12月24日、71歳の誕生日を迎えた時はすでに食事ものどを通らず、点滴での栄養補給で命をつないでいました。それでも2019年の元旦、比良浜に閉じこもって原稿書きをしているわが家にお正月のおせち料理を届けてくれました・・・。何という愛情と強い思い!嘉田の面倒をみなければ、という思いが積もったおせちでした・・・。髪の毛は抜けてしまったけれど、目力が強く、私が小坂さんに出会えた最後でした。翌1月2日に届いたメイルが最後の直接の言葉でした。

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元気で安心しました。***はあまり気を揉まないでください。必ず嘉田さんに集約されます。嘉田さんの真価はそんな浅いところで判断してほしくありません。また**さんはブレルという表現をしていますが、嘉田さんほど一貫している人はいませんから。それが証拠に知事をやめたら琵琶湖を離れて中央に行っていたでしょう。本当に滋賀を守りたい、何とかしたい、このままではあかん、そんな思いを持った人はいませんから。

嘉田さんはこのまま変わらないで、変えないで生き方を貫いて下さい。私が何も出来ないことがもどかしいですが、病床でも出来ることはありますので。必ず嘉田さんの思いは通じるはずです。自分を信じて下さい。

1日は嘉田さんの顔を見られて嬉しかったです。元気そうで。やっぱりいつも私の傍にいてくれる嘉田さんでした。女2人の底力、見せつけたいですね。私も何としても頑張って、もう一度嘉田さんの傍に立てるように・・・・。身体に気をつけて、無理しないでくださいよ。


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1月末には体調が少し回復したので、食事がとれるような手術をしてもらいましたが、やはりのどをとおらなかったということ。2月9,10,11日の3連休には自宅にかえり、お子さんとお孫さんと家族で食卓を囲んだということ・・・・それが自宅で過ごした最後。本人は「嘉田さんにも、友人にもともかく元気な私の姿を脳裏に残してほしいので会いたくない」という強い意思でした。小坂さんらしい強い意思、人生観です。

思いおこすと小坂さんと私のつながりは30年前の1989年(平成元年)に住民参加の環境調査としてはじめた「ホタルダス」でした。三重県上野市で生まれ、もともと上野高校時代には蘚苔類の研究をしていた生物少女は結婚後、滋賀県志賀町に居住。子育てをしながら志賀町立図書館の司書をし、地域研究に興味をもっていたようです。それで「おもしろそう」と「ホタルダス」調査に参加してくれました。その時つくったのが「水と文化研究会」でその後小坂さん自身が事務局長として「水と文化研究会」を引っ張ってきてくれました。

ちょうど住民自身の身近な環境に興味・関心をひろげることができる拠点としての琵琶湖博物館の準備・企画をすすめていたその一環としての「ホタルダス調査」でした。10年間つづけ、1996年にオープンした琵琶湖博物館に「ホタルは人と仲良しの文化昆虫」という展示をしました。同時に、女性の暮らしに欠かすことができない「生活の中の水」の調査を滋賀県下600集落で「水環境カルテ」としてすすめ、その結果をわかりやすく展示したのが琵琶湖博物館の「冨江家のカバタ(洗い場)」です。

水環境カルテ調査で出会った高島市新旭町の針江には、小坂さんは、私が教授をしていた京都精華大学の環境社会学科の学生たちをつれていって「水の地元学」の指導をしてくれました。その結果は彼女の単行本『台所を川は流れるー地下水脈の上にたつ針江集落』(2010年、新評論)となり、今も針江を訪問する人たちのバイブルになっています。

また自らも農家で生まれ育ったところから自然に寄り添い土を耕す暮らしぶりに深く心をうばわれ、比良山麓にある栗原集落に暮らす徳岡治男さんの一生を辿った『聞き書き 里山に生きる』(2003年、サンライズ出版)にまとめました。大正から昭和時代の「一物多用」の「もったいない」「循環型の暮らしぶり」を鮮明に描きだしています。

また1999年には水と文化研究会の活動をデンマークの世界湖沼会議で発表し、その後もアメリカのメンドータ湖や、アフリカのマラウイ湖、カンボジアのトンレサップ湖、中国の三峡ダム、ケニアなどの調査も「水と文化研究会」や「子どもと川と町のフォーラム」などのメンバーや嘉田といっしょに出かけました。

世界各地に出かけることでいっそう琵琶湖辺の暮らしぶりの価値を再発見し、その価値がないがしろにされ、大型の公共事業などで滋賀や琵琶湖の生活環境や文化、子どもたちが元気に生まれ育つ社会が破壊されていくことに強く危機感をもち、まさに「女2人の底力」で2006年7月2日の滋賀県知事選挙に挑戦しました。

2006年4月18日に琵琶湖岸の近江舞子で記者会見をし、「税金の無駄遣いもったいない」「子どもや若者が生まれ育たないのはもったいない」「琵琶湖の環境壊したらもったいない」とみっつのもったいないを訴えました。自民、民主、公明の政党推薦、270の業界団体推薦の現職に挑戦する知事選挙は「軍艦に手こぎ舟が当たるようなもの」と形容され「泡沫候補」と言われながら、3ケ月の訴えの中で滋賀県民の皆さんのご支持をいただきました。政党の背景や考え方がばらばらな選挙組織を事務局の中でまとめてくれたのは小坂育子さんでした。

知事就任後は、8年間の在任中、それまで県行政の中で各種委員を務めていた役割をすべてやめて「知事に近い人間が委員会などにはいっていては誤解をうける」と完全に公の職からは離れ、「かだ由紀子と歩む会」の会長として嘉田の人間関係を丁寧に支え、育ててくれました。まさに「育てる人」でした。県民の皆さんからの、生活者としての日常的な声や知事に言いにくいところなども聞いてくれる窓ともなってくれました。

悲しんでばかりはいられません。「嘉田さんにお別れ会をしてほしい」という彼女の遺言を受け止め、今、改めて小坂さんの人生の願いと思いを深めるべく、彼女自身が残した多くの著作や資料類を読み返しています。3月23日のお別れ会には「小坂育子ものがたり」を皆さんにお伝えできるように、まとめていきます。過去30年間の、私たちからの感謝の思いを、「小坂育子ものがたり」の中で語らせていただけたらと思います。「小坂育子さん、ありがとう」。

長い文章におつきあいいただき深く感謝いたします。もし大津界隈にお住まいでお時間がございましたら、お別れの会にお越しいただけましたら幸いです。琵琶湖の歴史を深く刻む堅田の浮御堂の近く、浄土真宗門徒の中核を担う古刹の本福寺でお会いできるとうれしいです。合掌

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